戯れに語る既読者用「マラケシュ心中」
わたしがこっそり眺めにいく、中山可穂の書評(読書感想文?)を書いているサイトの方は、「白い薔薇の淵まで」のクーチは受け入れられたが、「マラケシュ心中」の泉は受け入れられない、のだそうだ。
クーチが塁との恋愛にのめりこんでいくとき、そこに妨げるものは何ひとつない。いや、あるにはあるが、それはある程度冷静になってしまったときに出てくるもので、同性であるからとか恋人がいるからとか、そんな理由でためらうことはクーチにはない。
泉の場合、妨げは泉の心そのものにある。実際、夫の存在はこの場合あってもなくてもあまり変わりがない(とも言い切れないが、まあそうしておこう)。では同性であることが問題の中心かといえばそうではなく、恋愛への恐怖だ。正確には壊れゆくものへの恐怖といってもいい。
中山可穂はJUNEじゃないかというのが、わたしや知人のあいだでの評価のひとつであるが、これなんかはロコツにそんな感じ。これが泉の側から書かれていたとしたら、もしくは一人称語り手である絢彦がそんな感情を抱く人間だとしたら、ビンゴ! である。(中山可穂が描き出す絢彦は「あなたが同性だからあなたが好き」、プラトニックなんてくそくらえ、好きになった以上はセックスする、という人物であるので、そのあたりは微妙に違うのだけれど)。泉の、恋はいつか終わるけど友情は終わらない、という感覚は、いわゆるJUNE、同性愛小説の基本中の基本の台詞のように思われる。友だちだったら一生つきあっていけるが、恋が終わってしまったら……。刹那の快楽を選ぶか、生涯の安寧を選ぶか。永遠のハッピーエンドなんて望まない、望めないという思い込みが、なんというかJUNE的パターンで懐かしささえおぼえてしまう、といったらいい過ぎだろうか(別冊文藝春秋2003年5月号「弱法師」を読んで、ああ、やっぱり中山可穂ってやおいも書いてたのでは! と確信に近い思いを抱いてしまったのだが…違うかなあ。「はじまりは、恋」所収の「ルイジアンヌ」がいかにも初期の栗本薫、おそらくは栗本が影響を受けたであろうジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの小説に似ていると感じたのと同じような感慨でもって、そう思う。共感! っていう人、いませんかねえ)。
とはいえ、終盤からラストにむけての流れはともかくとして、とにかくこの絢彦が素晴らしい。才能のある人を才能があるようにきらきらした存在として描きだしている、その手法も素晴らしいのだが、この人の性格のつよさが。どんなに友だちでいようといわれても、どんなに会えなくなっても、そしてどんなに自分が泉と会えるような状況ではなくなってしまっても……常に思いつづける、この情の深さ。恋愛への恐怖は、同性同士だけではなく、異性間にだってあるだろう。そうやって逃れていった女の子をただ見送ってしまった男性諸君、身に覚えはありませんか? 中山可穂に癒しが感じられるのは、もしかしたら、とことんまで愛されたい願望を小説の中だけでもかなえてくれるような気がするからかもしれない。塁にしろ理緒にしろミチルにしろ、そして絢彦にしろ……つきあいやすい人間では決してなく、むしろ我儘で手に負えないような連中だけれど、愛してくれる。嫌いになったのか、それともただ臆病で逃げ出しただけなのかをちゃんと見極めて、追いかけてきてくれる(ああ、でも逆に逃げちゃうのもいるんだけどね…)。よすぎ。
とはいえ。
「マラケシュ心中」にはやはりちょっと許しがたい部分もあり……それはカリスマアイドル、広瀬マオに関連するところだ。泉を忘れ、マオを守ることで生きていく、と決意しかけたのは事実なので、そのあたりで突き詰めてくれれば、それはそれでいい小説だったと思う。一輪の薔薇を守って、自分のこころを捨てて生きていくなんてことが、もし絢彦に出来たとしたら、強烈だ。ところが、ヌードグラビアのために強制連行されてしまうマオを見送るだけで手をつかねてしまう絢彦の姿は、あまりにも弱々しく、いままでの強気はどこにいったんだ! とじれったいほど。ちょっと、ひどいんじゃないか。構成については、どうもなにかあると外国に行っちゃうとか、自分に似たキャラが幸せになればいいとか、いろいろあちこちでいわれているのを読みながら、う、それって一理ある……と呟いてしまう中山可穂作品だが、それまでは、でも全体がいいんだからいいじゃん! と思っていた。が、今回の広瀬マオの扱いに関しては、まさしく、なんか許せん、この構成! と、そんな感じ。現実ってたしかに自分ではどうしようもない部分があって、仕方ないといえば仕方ないのかもしれないけれど。ちょっと、残念だったのでありました。マオを切り捨てたところで、なにか、そのあたりに絢彦の冷たさ、さらには中山可穂の冷たさ(もしかしたら優しすぎる、のかもしれないけれど、過剰な優しさも時には残酷だ)が見えてような気がして。どうしてマオを抱けないのだろう。年齢差? それだけじゃなく? そんなことを思うと、帰国してからの絢彦の生活の中にマオのことが一片たりと出てこないこともちょっとひどい。
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