わたしの肉体も、わたしの歌も、やがて消えます。このメールがボタンひとつの操作でたやすく消え果るように、わたしという存在の記憶がきれいさっぱりあなたの中からなくなることをわたしは願っています。
「マラケシュ心中」 中山可穂 講談社
性の歓びを奔放に詠った恋歌により、歌壇の寵児として存在する緒川絢彦。その覆面歌人が男名で詠んでいる女性であることはあまり知られていない。ある日、絢彦が中心的歌人として活躍する歌会に、ひとりの女性が現れた。小川泉。美しい彼女に絢彦はひと目で惹かれるが、彼女は絢彦の恩師の妻であり、周囲は、彼女にだけは手を出すな、と絢彦に釘をさす。絢彦のファンだという泉もまた、絢彦に惹かれているようだったが、ふたりの間には泉の夫である小川薫風という大きな存在ばかりでなく、泉の心という大きな壁が立ちはだかっていた。かつて手ひどい失恋をし、恋はいつか終わるものだから恋などしないと口にする泉は、暖かく手をさしのべてくれた年上の恩師を夫とし、孤独でさびしい生活をさびしいとも思わずに暮らしていたのだ。絢彦だけが彼女の孤独に気づき、緩慢に死にむかいつつある老人のような生活から、性の歓び、生の喜びをともにしたいとぶつかっていく。しかし、泉は頑なにそれを拒みつづけ、片想いの苦しさに絢彦は身をよじって泣くしかなかった。愛しすぎ、それに耐え切れず国外へと逃れていく絢彦。
恋がいつか終わるものなら、わたしたちは恋人同士になるのはやめましょう。何も契らず、何も約束せず、からだに触れ合わず、それゆえに嫉妬もない、いかなるときも自由で、平明で、対等な関係のまま、いつまでも離れずに、この世で最も美しい友になりましょう。
恋人にはなれない。だが、あるがままの絢彦を受け入れ、一生、友として傍にいる。女性を愛することのない泉にとっては当然かもしれない台詞だが、泉を愛している絢彦にとって、これほど苦しい言葉はない。
話の流れとしては「感情教育」に近いものがあるだろうか。わたしが本当に好きな人は、わたしのことを好きになってくれない、というような言葉があるが、ストレートの女性を好きになるのは労力も使うしやめよう、と口にしながら絶望的な恋におちていく絢彦。しかし、彼女もまた、どうしても受け入れられない少女がいるのだ。カリスマアイドルの広瀬マオ。彼女を受け入れられないのは、マオが少女すぎるからなのか、他の理由があるのだろうか。それこそ、泉を手に入れられなくて泣くつらさを知っているはずの絢彦が、泣きわめく少女を目の前にして抱いてやることができないのは何故なのか……
絢彦は最後まで、自分と泉と恩師の薫風先生とのことだけを考えているが、忘れられてしまった少女のことを思うと、ふと絢彦がとてもひどい人間に思えてしまったりもする。ともあれ、かなわぬ片想いに苦しむ描写はさすがである。絢彦が男性だったら、これほど苦しむことなく逆に早く崩壊していったのではないかと考えると、同性同士であることの苦しみがより重く感じられる。(同性同士に限らず、異性間であっても)友情と恋愛なんてことについて考えたことのある人には絶対のオススメ。
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