「わが名はアズュラーン、妖魔の王」と男は言い、その言葉に二千の燭火はゆらめいて消えた。
「闇の公子」タニス・リー(浅羽莢子訳) 早川文庫
これからはじまるのはまだこの世が平らかで、世界が混沌の海に浮かんでいたころの物語。地底にある妖魔の都、ドルーヒム・ヴァナーシュタに住む闇の公子アズュラーン、かれがいかに人間たちを弄び、思うがままに操ったかというお話。アズュラーンは人間の中にある欲望や憎悪や邪な執着をかきたて、美しくもはかない愛情を壊し、つかぬ間の歓楽を得て楽しむ。美しく邪悪で強大な力をもつ闇の公子、人間たちに恐れられ、崇められるかれ……しかし、そんなかれのただひとつの弱点こそが、人間なのだ。恐れるもの、崇めるものがあってこその楽しみ、アズュラーンの存在は人間あってこそなのでは……?
いくつもの短い物語が宝石のようにきらめき、次の話へと続いてゆく。みずから育て上げた美しい若者に愛を裏切られたアズュラーンの与えた恐ろしい罰、闇の公子によって造りあげられた花の子と盲目の詩人との恋、憎悪に凝り固まった残忍な女王、アズュラーンの求愛を拒みつづけたために不幸になった娘……。流麗な擬古調で訳された文体が不思議なほどに平らかな世界を妖しく煌びやかに織り上げている。闇の公子アズュラーンの戯れは、ときに公子自身を欺くのだが、その異様なまでの美しさ、迫力にはうっとりせずにはいられない。ともかく、「巻の三 世界の罠」を読んでもらいたい。己の戯れを拒んだ少女に与えた罰が、思いもかけずアズュラーンをのっぴきならないところまで追いやってゆく。そして、ラストの一行。
夜な夜な繰り広げられる闇の公子の業、これこそまさしく現代版千夜一夜。
魅惑的なおとなの夜を、楽しんでもらいたい。
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