かたわらに置いたダッフルバッグのなかでは、“スペシャルズ”たちが身を寄せ合い、列車の揺れでコトコトと騒ぎ、そしてさらに瓶の中では、あの過ぎ去った夏の日の沈殿物が、真紅の霞のように、攪拌されている。
「ブラックベリー・ワイン」 ジョアン・ハリス(那波かおり訳) 角川文庫
十四年前、少年時代の思い出を理想化して記した『ジャックアップル・ジョー』で一躍世間の脚光を浴びた小説家、ジェイ・マッキントッシュは、表向きには短篇ひとつすら書けず、文学界にひたすら続篇を待ち望まれている存在だ。……が、ジェイは実は書いていた。『遺伝子Gメン出動』や『火星の超能力戦争』といった三文小説を。いまでは、ジェイの小説にあこがれ、ついにはジェイの恋人となったケリーのほうが、売れっ子ライターとなってしまったが、ジェイ自身はそんなことさえ気にせず、ただ飲んだくれ、SFを書くことで満足していた。――その日までは。
ある日、ジャックアップル・ジョーの残したスペシャルなワインを飲みながら見つけた一通のパンフレット。そこにジェイはその昔、ジョーが夢見ていた館とそっくりな家を見つけた。そしてジェイは、フランスのかたすみにある小さな村にあるというその家を衝動買いし、ロンドンからそのままその村、ランスクネへと向かってしまう。仕事も恋人も、何もかもを投げ捨てて。しかし、それほどまでに期待したランスクネだが、そこには保守的で用心深い人々と、なにより、本当はその家を買いたがっていたという冷たい隣人、マリーズがいて、当初、ジェイはなかなか村に溶け込むことが出来ない。それでも、村に一軒しかないカフェの女主人ジョゼフィーヌを通じて、ジェイが観光開発などのためではなく、この村に身を落ちつけようとしていることがわかってからは、人々の好意はささやかな贈り物というかたちで毎日ジェイのもとに届けられるようになり、ジェイは小さな村の中に張りめぐらされたさまざまな人間関係を知る。ジェイの隣人マリーズもまたよそ者であり、村人から浮き上がっていたのだ。ジェイの中にわきあがる好奇心と、創作意欲。一方でジェイは、この村で、ジョーのスペシャルズを飲みながら、少年時代の真実を振り返ってもいた。両親の不仲、いじめられっこだった自分、ジョーとの会話。少女ジリーとの出会い。ついにタイプライターに向かったジェイは新たな作品を生み出してゆくが……
「ショコラ」の姉妹作となるが、「ショコラ」とは舞台が同じだけで、あとはほとんど関係ないので(ヴィアンヌはすでに村を去ってしまっている)、これだけ読んでも大丈夫。ぶどう以外のもので作ったワインの強烈な味を楽しみながら振り返る少年時代のあざやかな色彩。ショコラでも感じたことだが、この作者は味や色を描き出すことが本当にうまい。
静かでささやかな生活と、十四年ぶりに書いた小説がもたらすだろう栄光。ジェイがどちらをどう選ぶのか。ラストがまた素敵です。オススメ。
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