おおよそ既に二百を越える村人たちは、友吉と雷電の飛び散る汗に見入っていた。彼らのよく知っている汗とはまるで別な物だった。農に生きる彼ら、彼女らにとって汗とは伝い流れるもので、一斉に弾け、飛沫を放って飛び散るものではなかった。
          
   「雷電本紀」 飯嶋和一  河出文庫

 鍵屋助五郎がその相撲人に出会ったのは、天明六年(1786年)のことだった。まだ二十歳前後と思われるその相撲人は、化け物じみた巨体と反して気の弱そうな顔をして、次々と差し出される赤子の厄払いをしていた。その男が、みている方が恐ろしくなるほどの怪力で次々に相手を投げ飛ばしているという噂の雲州雷電だと知り、助五郎はこれまでにない興味をおぼえる。のちに雷電王朝と呼ばれる相撲隆盛の一時代を築く相撲人、雷電との出会いである。
 当時、相撲人は藩のお抱えであり、藩の名を背負った彼らが拵え相撲(いわゆる八百長)をとることも珍しくなかった。勝敗が明らかであっても、藩士たちが物言いをつけ、勝負が流れることさえある。そんな中、相手を殺しかねない勢いで勝負に出る雷電の姿勢に、相撲を見ることさえできない貧しい人々が支えられ、希望を語るようになる。
 見物していた己れが、かつては持っていたが、いつの間にか自ら失い、あきらめてしまった思いや怒り。やれ問屋組合だの町会だの、何もかも群れ集まり、少しも目立つまい、波風をたてまいとして、いつの間にか平然と日を暮らす己れのブザマをつきつけられた思いが助五郎をも打ちのめしていた。

 助五郎のように、金や力を持ち、それでもいつしか日常に埋没していたことにふと気づいた者は、雷電によって変わり、日々を真摯に生きるようになる。そしてまた、貧しく、力も金もない人々は、俯くだけの日々を雷電によって励まされる。神を、天を、人を。人々を打ちのめしたすべてのものに、雷電が立ち向かってくれる、そのことを信じて。
 ほんとうに力のある者は他者を救う力をも持つ。はじめのうち、雷電が赤ん坊を抱きかかえることの意味がよくわからなかった。相撲人に抱かれることで厄病払いになると信じていた時代が確かにあったのだとわかってくると、意味は大きい。貧しさの中で病気になる子どもは多いが、そのときに諦めてしまうのと、相撲人に厄を払ってもらったのだからと希望をつないで看病するのとでは違いが出る。彼らの行為はまさしく、その力を分け与えることで人々に希望を授ける、そういったものだ。
 okmさんからの就職祝いオススメ本。いま相撲といえば、外国人力士の活躍ぶりがワイドショーで伝えられたり、そのちょっと前は若貴兄弟だの、そのスキャンダルめいた話題だのが伝えられるばかりだが、本来、相撲とはそういうものではなかったのだな、とこの本を読んで教えられたような気がした。胸に残る作品である。



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