「こんな世界、だいっきらいだ。みんなが世界にしてきたことを恨んでやる。みんなだいっきらいだ。ずっと生きていたいだなんて、死にたくないだなんて、ほかのだれかが生まれることを、生きることをじゃまするなんて。だいっきらいだ」
「世界でたったひとりの子」アレックス・シアラー(金原瑞人訳) 竹書房
人々の平均寿命が延び、老化防止薬のせいで二百歳を越えても若い姿を保って生きる人々の世界。しかし、不老長寿の一方で、生殖能力を破壊するウイルスの蔓延により、その世界は大人ばかり。ごく少数の幸運な人々だけが子どもに恵まれ、そして、子どもに恵まれなかった人々の中には子どもを借りたり、買ったり、盗んだりして子どもとの時間をもとうとする人々がいた。タリンは、そんな大人たちの夢を叶えるために貸し出される子どもだ。昔はお金持ちの家にいたけれど、お金持ちの人が賭けトランプに負けて、ディートという男にタリンを売り払ってしまった。以来、タリンはディートのために稼いでいる。毎日数時間ずつ、いろんな家を訪ねて、「いい子」で「理想的」な男の子を演じることで。
世間にはタリンのように貸し出される子ども、お金持ちの家に囲われる子どもの他、PPインプラント手術を受けたにせものの子どももいる。商売のために子どものまま成長をとめた大人だ。外見は十一歳なのに、五十五歳のミス・ヴァージニア・トゥーシューズのように、PPを売り物にして稼ぐ芸人もいれば、タリンと同じようにあちらこちらの家に貸出されて稼ぐPPもいる。少しずつ成長してゆくタリンにも、ディートはPP手術を受けさせようとするが、タリンにはどうしてもPPがいいものとは思えなかった。大人になれず、いつまでも子どもでいるなんてたまらない。だが、そんなある日……
「世界でたったひとりの子」というタイトル(邦題。原題は"The Hunted")ではあるが、物語には複数の子どもが登場する。滅多にいないとはいえ、この世界にいる子どもはタリンだけではない。では、このタイトルの意味とは何か?
原題が示すように、大人は子どもを物色できる。不要な子どもは売り払い、また新しい子どもを買うことができる。そのために世間には子どもを狩りたてるひとさらいがいるのだから。そんな世界で暮らすタリンだから、ある家で一時間だけの子どもになること、大人が考える理想的な男の子らしくふるまうことに疲れきっている。タリンがあちこちの家にいくように、その家の人たちも、タリンだけではない他の男の子を選ぶことができるからだ。大人に必要とされるために、タリンは決して自分らしくふるまうことはできず、息をひそめるように理想的な子どもを演じ続けなければならない。ある家に買われていったとしても、タリンはその人たちにとって「世界でたったひとりの子」ではないから。成長してしまえば、必要とされなくなるかもしれない。捨てられてしまうかもしれない。……けれど、親は? 本当の両親ならば、タリンを世界でたったひとりのわが子として愛してくれるはず。成長してにきびだらけになっても、ひょろひょろの手足でも、生意気なことをいっても、本当の両親にとっては、世界でたったひとりの子どもだから。だからこそ、タリンはディートの目を盗み、DNA鑑定によって両親を探そうとする。薄れかけた記憶を頼りに、両親を探そうとするのだ。誰かにとっての「世界にたったひとり」であることを確認するために。
タニス・リーの「バイティング・ザ・サン」を思い出した。成熟を許されない社会で大人になることを望み、反抗した少女の闘いは、タリンよりも年上だったために激しかったが、根底にあるものは同じだったように思う。誰もが諦念とともに受け入れている世界に立ちむかおうとする子ども。また、一方では、ブラッドベリの「歓迎と別離」に描かれた、大人にとっての理想的な少年となることを仕事にすることを思いついた……そんな、成長できない少年のことをも思い出した。この物語でも、さりげなくPPの哀しみにふれられているが、確かにPPに焦点をあてれば、そこにはまたタリンとは別種の哀しみがあったことだと思う。だが、この物語ではあえて無力な少年を主人公として、この世界のもつ不気味さ、息苦しさを伝えたのだとも思う。やや納得のいかない部分(キーネンの描き方とか)はあるが、考えさせられることの多い作品である。オススメ。
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