芽野史郎は激怒した。必ずかの邪知暴虐の長官を凹ませねばならぬと決意した。
      
 「走れメロス」(「【新釈】走れメロス」所収)  森見登見彦 祥伝社

 芽野はいわゆる阿呆学生である。汚い下宿で惰眠をむさぼり、落第を重ねて暮らしてきた。しかし厄介なことに、邪悪に対しては人一倍敏感であった。

 ……という出だしで始まる「走れメロス」は、当然あの太宰治の名作「走れメロス」の新釈である。
 陰の最高権力者、図書館警察長官によって奪われた詭弁論部の部室を取り戻すべく長官に立ち向かった芽野は、「文化祭最終日にグラウンド中央ステージで『美しく青きドナウ』に合わせてブリーフ一丁で踊る」という提案を呑むが、姉の結婚式を理由に、友人の芹名を身代わりに残して逃げ去ってゆく。一瞬でも真の友情を目にすることができるのではと期待した長官は怒りにまかせて芽野を追うが、自らの逃走を信じた芹名のためにも芽野は走って走ってひたすらに逃げまくる。京都の街を縦横に駆け巡る芽野。果たして彼は逃げ切れるのか?
 ――というわけで、森見風にアレンジされた数々の名作(「山月記」「藪の中」「桜の森の満開の下」「百物語」)は、「夜は短し歩けよ乙女」でみられたような京都の大学を跋扈する不思議な京大生たちを中心に、奇妙におかしいものになっている。
 ところで、当然のことながら「元ネタ」を知らないと楽しめないことは当然(そうでないと単なる京大生物語になってしまう)。この本を読むときにはぜひ、古典的名作と呼ばれる作品群にもふれておいてほしい。ただし、あの作品がこうなるか! という悲鳴がどこかから聞こえてきそうである……



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