「何も買ってないんだろう。出られやしないよ。この夜市は生きているんだ。ここは取引をする場所なんだよ。家に帰りたければ取引をするんだ」
             「夜市」 恒川光太郎 角川書店


 大学二年生のいずみは、ふとしたことで再会した高校時代の友人、裕司に連れられて、夜市に出かけた。夜店とは違う。闇が切り取られた青白い空間に、鬼火か人魂かと思われる炎や、人の姿をしない者たちがうごめいている。静かな森の中の静かな空間。夜市では、どんなものでも売っているが、買わずに外に出ることはできない。そして、くたびれたいずみに、裕司は幼い頃に夜市に来たときの話をする。自分の幼い欲望に負けて、弟を売り飛ばしてしまった過去。そしていま、裕司が買おうとしているもの、そしてそれと引き換えにしようとしているものとは……
 第12回日本ホラー小説大賞受賞作。
 夜の闇、静かな空間が持つ、耳の痛くなるような沈黙の騒々しさ。そんなものが伝わってくる、不思議な物語である。とにかく雰囲気がよい。弟を売ってしまった後の世界で、かなえられた自分の望みをもてあまし、喜びよりも哀しみを感じて生きるしかなかった兄の姿。それが、いずみという他者の目を通すことで、ときには我がままにも、身勝手な言い草にも聞こえる。そのバランスが、よい。
 同じ本の中に収められている「風の古道」も絶品。薄気味の悪さよりも、ノスタルジックな雰囲気のほうがまさっているせいだろうか。民俗学的なあやかしの世界に招き入れられた雰囲気。ホラー小説が苦手な人でも読めることは間違いない。オススメ。



オススメ本リストへ