「苦痛をもう一度消し去るために来たの?」とレアドはたずねた。
男は首を振った。
希望は一瞬だったが、だからといって絶望の深さが減じることはなかった。
「それができないんなら、あなたたちが何の役に立つの?」
「神の熱い眠り」 オースン・スコット・カード(大森望訳) ハヤカワ
そこはまだ電気のない、蒸気機関さえ使われていない原始的な村のひとつ。川のほとりのちいさな集落で、宿屋がひとつあり、その主人は鍛冶屋をかねている……少年、レアドが住み、よく知る世界はそんな場所だった。けれどその世界ではあらゆる苦痛が瞬時に癒され、悲しみや痛み、恐怖がまったく存在しなかった。〈苦痛の日〉がおとずれる、その日まで。
ある朝目覚めると、世界は〈苦痛〉に覆われていた。祖母の死に悲しみ(そんな悲しみはいままでなかったはず)、かんしゃくを起こした父さんに突き飛ばされて母さんが泣き出し(いままでは誰も暴力などふるわず、泣き出す人などいなかった)、そしていままで気にもとめなかったような動きで怪我をした結果……死ぬものまでがあらわれた。暖炉に落ちて泣き叫んだあげくに死んでしまった幼子、つるはしを自分の足に落としてしまい出血多量で死んでしまった働き盛りの男。村人たちがうちひしがれ、茫然としているところに、ふたりの人間がやってくる。「神」の名をもつ男、ジェイスン・ワーシングと、心でのみ口をきく不思議な女、ジャスティス。ジャスティスが送る夢、ジェイスンの歴史を文字に記すことをはじめるレアドが知った、一万五千年にもわたる世界のありよう、そして秘密。
もし、なんの悲しみも痛みもなく、幸福に過ごせるのならば……その世界は理想的なところのはずだ。なぜわざわざ〈苦痛〉をもたらさなければならないのか。完全な世界を壊すことの、どこに意味があるというのか。この本をはじめて読んだときの衝撃は、二度三度繰り返し読んでも失われていない。破壊の夢、苦痛の夢に、レアドはわからないと叫び、知りたくないとかんしゃくを起こす。けれど彼とともに苦しみ、悩みながら、読者であるわたしたちもまた〈苦痛の日〉がなぜ必要だったのかを知ってゆくことになる。人間性について考えさせる一方で、カード独特の壮大な世界観、宇宙観も楽しめる本である。カードファンにも、実はあまりカードが好きではないという人にも絶対の自信を持ってオススメする一冊。
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