どうして私はこんなところにいるの? どうしてこんな格好で寝かせられるの? 誰もいないの? 誰か来て、助けて。
             「すべて忘れてしまえるように」 サビーヌ・ダルデンヌ(松本百合子訳) ソニー・マガジンズ


 1996年5月28日、ベルギーの小さな町に住むサビーヌは、自転車に乗って学校に通う途中、見知らぬ男たちによって誘拐され、幅99センチ奥行き2メートル34センチの黄色い壁に囲まれた不潔な地下の穴蔵に監禁された。人の心を操る術に長けた男は、両親はすでにサビーヌを見捨てたのだといい、さらにサビーヌの父親に怒りを抱き彼女を殺そうとしている「リーダー」からサビーヌを守ってやっているのだから静かにしていうことをきくようにとサビーヌをいいくるめる。与えられるのは腐りかけた食べ物ばかり。垢だらけで不潔な身体を思う存分洗うこともできない。しかも男は幼く何も知らないサビーヌにおぞましい行為をしかけてきた。
 「デュトルー事件」。この本は、ベルギー国内で次々に少女を誘拐、監禁、強姦し、四人の少女の命を奪った性犯罪者のもとで80日の長きにわたって監禁され、生き延びた少女の実話である。男が性犯罪の再犯者であったこと、警察の失態等々もあり、メディアや政界をも巻き込んだ大きな事件となったこの事件を、いま自らの口を開いてサビーヌが語ろうとしているのは、「すべてを忘れてしまえるように」するためだ。
こんなことになったのは自分が悪い子だったからではないか、と己を責め続けた少女は、解放されたのちも、生き延びたことの罪悪感を抱かされ、人々の好奇の視線にも耐えねばならない。だが、自分の感情のひとつひとつ、事件の細部を改めて見直して、いわれのない罪悪感から逃れ、前向きに生きていこうとするサビーヌの姿はたくましい。過去ではなく未来を生きることができるように。この本にすべてを語ることで、サビーヌが過去を本棚の中の一冊の本の中にしまえこめること、すべてを忘れてしまえるようになることを切に祈る。



オススメ本リストへ