「いま考えてるんだ。ひょっとするとボルティモアの町は、われわれの中のだれかがそこへ行ったときだけ、存在するんじゃないか」
     
「ユービック」 フィリップ・K・ディック(浅倉久志訳) ハヤカワ文庫

 ユービックとはいったい何なのか。各章のはじめに出てくる、やけに浮かれた宣伝文句は、ユービックという名の車やサラダドレッシング、ヘアー・コンディショナーだったりする。しかもそれには「使用上の注意をよく守って」云々ということばまでが付け足されている。
 題名になっておきながら、最初のうち、ユービックはこのようなかたちでしか出てこない。物語はこの「宣伝文句」とは別の部分で進行するのだ。
 超能力者たちを無力化すべく、月面に集合した反能力者たち。ところが、そこで起きた事故により、社長のランシターが死亡してしまう。急いで地球に戻る生き残りのメンバーだが、しかし状況は次第に悪夢化する。手元のコインは使用できないほど古いものに変わり、買ったばかりの煙草はぼろぼろに、コーヒーは飲めないほど古くかびの浮いたものに。そして映話の受話器を取り上げただけで聞こえるランシターの声。この世界はいったいどういうものなのか。死んだのは、ランシターなのか、それとも自分たちか?
 ディック、実はものすごく好きな作家なのだが、いままでろくに紹介してこなかったのは好き嫌いがあると思ったからだ。が、しかしわたしの初ディックはこの「ユービック」だし、そのときはまったくの初心者で楽しめたんだから、初心者可のSFってことでオススメしてもいいかな、と思って……ま、なにをいってもいいわけだが。
 この世界は誰かの見ている夢、しかも悪夢ではないか、世界は自分の見ていないところでは存在しないのではないか……そんなことを考えたことが一度くらいはあると思う。ディックは、それを物語として描いた作家である、とわたしは思っている。ディックを好きな人って小難しいこという人が多いんだけど、「ユービック」あたりだと、ただすなおに楽しめるような気がするので、まずはこのあたりから、ぜひ。



オススメ本リストへ