多聞はふと、恐怖と愛情は似ているな、と思った。
「月の裏側」 恩田陸 幻冬舎
四十も近いというのに、つるつるの少年みたいな顔をして、何を考えているのかつかみづらい男、塚崎多聞。一方的に愛されて所有されるようにして結婚したフランス人の妻ジャンヌと離れ、多聞がここ、箭納倉にやってきたのには理由があった。箭納倉に暮らす年長の知人、三隅協一郎に招かれ、不思議な事件にかかわることを要請されたのだ。水郷の町、箭納倉で、堀近くに住む人々が、続いて行方不明となった。しかし、ただ行方をくらましただけではない――彼らは、数日後に記憶をなくしただけで、無事に家に戻ってきていた。けれど――その彼らは、本当に元のままの彼らなのか? 猫がくわえてくる人体の一部。しばしば出るという火葬すると骨の残らない遺体。箭納倉に暮らす人々は「人間」なのか、いったいどこまでが「人間」なのか……降り続く雨、水に囲まれた町。募る恐怖の中で、多聞たちは真相に近づいてゆく。
――と書くと、いかにもスリルとサスペンス、という感じであるのだが、実はそうではない。
多聞という人は、オチのない話を平気でするし、思考があちこちに飛ぶことがあるので、唐突にいっけん脈絡のないように見える話を始めるようなタイプ。周囲の人間もそれになれているし、彼らも彼らなりに一癖も二癖もあるので、こんなにせっぱつまった状況であるのに文学作品しりとりを始めちゃったり、座敷わらしについての思い出話をはじめちゃったりするのだ。そういう意味で、恩田陸のおしゃべり小説ジャンルに分類してもよいような作品になっている。
多聞を中心に見ると、のほほんとした怖くないホラー。他の登場人物たちを中心に見ると、ぞくっとする恐怖。いろんな読み方ができる本、といってもいいかもしれない。
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