フライに説明したことはなかったが、グローニアはあらゆるところに音楽や歌があると信じていた――信じる気になっていた。雲にだけではなくて、空を飛ぶ小鳥たちや、寮の窓をこするオークの葉や、芝生を走りまわる子どもたちの脚にも。
「遠い音」フランシス・イタニ(村松潔訳) 新潮社
猩紅熱のために5歳で聴力を失ったグローニア。そんな娘を受け入れることができず、娘の聴力がよみがえることだけをひたすら祈り、願う母親をよそに、祖母(マモ)はグローニアを特別扱いすることを家族に禁じ、グローリア自身にも、学んだ単語を声に出すことを教えてゆく。しかし、そんなマモの教育にも限界があった。普通学級で取り残され、自らの才能を伸ばすことのできないグローニアのために、ついに家族は彼女を聾学校に入れることを決定する。そこでグローニアが知ったのは、姉トレスとの簡単な身振り言語よりももっともっと世界を広げてくれる手話の世界、そしてマモ以上に厳しい口話法の訓練だった。手話と口話を学んだことで、グローニアは彼女の内なる豊かで静かな世界を伝えることができるようになった。成人した彼女は、歌と音楽の好きな青年ジムと出会い、結婚する。ふたりだけの世界は静かな愛情に満ちたものだったが、第一次世界大戦の波はジムをグローニアのもとから連れ去ってしまう。何日も、ときには何週間も何か月も遅れる手紙のやりとりが伝える互いの愛情。爆音の中でジムはグローニアを思い、グローニアはジムの健康と安全を願う。
見ること、さわること、感じることでグローニアの世界は静寂に包まれながらも深みと広がりを持っている。<教えて>。ジムとグローリアは互いの世界がどのようなものかを教えあい、思いもかけなかった相手のものの見方や感じ方に驚いたり、不思議に思ったりする。互いに受け入れあい、愛しあうふたりと、容赦のない戦争が緻密に描かれている。グローニアと同じくらいに、マモの存在も大きい。戦火の中を生き延びた女性たちの姿をリアルに描いた作品だともいえる。
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