「こんなとき、ただ子供だっていうだけで、座り込んでメソメソ泣いて、"お願いだから僕を傷つけないで"なんて言って、悲しんでる権利はないんだよ。受け身でいちゃダメさ。そう思わない?」
           
 「今夜は眠れない」 宮部みゆき  角川文庫

 平凡な家庭に育った、と信じていた主人公の思いは、ある日を境にして見事に崩れ去る。「放浪の相場師」などという人物が、母さんに遺贈したという五億円。取材申し込み、親戚からの驚愕の声、知人から借金申し込み、寄付の依頼に脅迫電話。学校でもさまざまな嫌がらせにあい、それだけでも参っているのに、ついに父さんと母さんの離婚話まで飛び出した。波風のない家庭の底にはこんなものがあったのだろうか。父さんの度重なる浮気と、それに苦しんでいた母さん。五億円があれば離婚できる――?
 どちらかといえばおっとりとした甘ったれタイプ(しかし父親の浮気現場を見ても動じないあたり、なかなかである)の主人公、緒方雅男と、参謀……というべきか、頭の切れは抜群のホームズ(アレン・ダレス?)、島崎俊彦。大人の与えてくれた回答なんて待っていられない。雅男の出生の謎まで絡んできて、ふたりは「母さん」=「聡子さん」の過去を調べ始めていく。
 このあたりが、いいなあ、と思うのである。「おまえんちのおばさん」が長すぎるからと、島崎が「母さん」のことを「聡子さん」と呼び始めたあたりで、僕にも母さんにもあたりまえだけど自分と同じくらいの年齢のときがあったこと、美しい若い女性だったころがあったこと、を実感していく。母さんがふたりの男とつきあっていたなんて考えることは出来なくても、聡子さんという若い女性がつきあっていたということはあるんじゃないだろうか……。
 五億円というとんでもないお金の顛末は、途中にどうしてこんな話が入るのかな、というあまりにもあからさまな伏線によってバレバレなのだが、それでも。家族って「父さん」と「母さん」と「子ども」から成り立っているのではなく、「行雄さん」と「聡子さん」と「雅男くん」から成り立っている。それはどこの家族でも同じことだ。忘れがちな大切なことを思い出させてくれる一冊である。



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