「ノートブック」を埋めつくす計3254個もの公式を一つずつ証明しようとする試みは、その後、ハーディをはじめとする幾多の学者によりなされてきた。その一人であるイリノイ大学のバーント教授は、ここ20年間その集大成に心血を注ぎ、1997年になってやっと五巻本を完成した。ただしそれは証明が完了したというだけで、これら公式のもつ意義、数学における位置付け、応用等についてはほとんど手がついていない。
          
「天才の栄光と挫折  数学者列伝」 藤原正彦  新潮選書

 数学は生まれつきの才能である。と、思っている。いやそんなことはない、努力すれば誰だって、というのは大嘘である。絶対に、遺伝子の中に「数学」が刷り込まれている人がいて、そういう人は勉強なんてしなくたって数学ができてしまうし、逆にまったくその遺伝子がなければ、どんなに努力しても無駄だ(ちなみにわたしは後者である)。
 この本に出てくる9人は、そろいもそろってその数学の才能に恵まれた「天才」たちである。アイザック・ニュートン、関孝和、エヴァリスト・ガロワ、ウィリアム・ハミルトン……名前だけは聞いた事があっても、実際にどんなことをしたのかはあまり知られていない人々。ましてや私生活に至っては教科書になんか載っていない。だからこの人たちにこういう側面があったのか! と興味深い話が続いて楽しく読める。筆者が数学者であるということも、彼らを見る目の素晴らしさや理解力にプラスになっている部分があるだろう。錬金術にはまったり、革命に参加したり、ドストエフスキーとの恋愛に破れたり、ホモセクシュアルで逮捕されたり……理系の天才というと、なんだか冷静で感情的なことはしないようなイメージがあるのだけど、実はけっこう無茶苦茶なんだなあと、そんなこともおもしろい。「栄光と挫折」とあるように、数学的な面での栄光を手に入れながら、その無茶苦茶ぶりで挫折していく姿には、不思議と親近感をおぼえたりもするのである。
 さて。それでもやっぱり、数学的天才は生まれつきどこかが違う。と思えるのが、上記で引用した「ノートブック」のシュリニヴァーサ・ラマヌジャン。南インドの田舎学校で出あった「純粋数学要覧」を定理を自力で証明しながら、新しい公式を発見するたびにノートに書きとめていた、という。しかも15歳。しかし、それがインドでどう活かされたかといえば、画期的な論文が認められたご褒美がベンガル湾に面した港湾局の経理部員。とはいえ周囲の温かい理解と励ましで、イギリスの専門家にノートブックの一部を送る。ほとんどの教授が無視したが、幸運にも目を留めてくれたのがケンブリッジのハーディ。そのときハーディは「このインド人は狂人か天才かのどちらかだ」と叫んだという。この後、海を渡ってはならないというバラモンの戒律が妨げとなったり、いろいろあるのだが……でもね。15歳ですよ、15歳。それで、実際どれほどのものかは知らないけど「純粋数学要覧」とかいう大学初年級までに習う六千もの定理がほとんど証明なしに並べられている、とかいうのを解いちゃうのって……遺伝子でしょう。努力とは思えないでしょう。なんか、ずるい。小学校一年生にして、算数のあまりの出来なさに親が学校に呼び出された過去を持つわたしは、ぶつぶつ呟いてしまうのである。人生って不公平だわ。



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