「わたしの魚だ」
と、彼は涙声でつぶやくように、いった。
「わたしの魚だ」
「帝王」 フレデリック・フォーサイス(篠原慎訳) 角川文庫
ロンドン郊外の町で銀行の支店長をしているマーガトロイド。思いがけない成績をあげ、全額銀行もちでモーリシャスでの一週間という休暇を与えられてやってきた。必ず不平不満の種を見つけ、果てしなく愚痴を続ける妻、エドナ・マーガトロイドとともに。妻の機嫌を伺いながら、おそるおそる熱帯での休暇を楽しみはじめた、彼。穏やか一方の性格は、いつしか無抵抗の受身に変化し、愛情のない夫婦生活に閉じ込められているのだ。
そんな彼が、ゲームフィッシングに誘われる。金持ちの遊びであるが、突然のキャンセルのために格安になるという。そしてめぐり合った、「帝王」と呼ばれる伝説のブルーマルリン。八時間の苦闘の末、彼が手にしたものとは――
短編集。特に最初の数編は、最後のピリッとした悪意が効いている。名誉毀損で訴えることが不利だと悟った主人公がとった思いがけない手段が抜群の「免責特権」などは、何度読んでもにやりとしてしまう。自らの死期を知った実業家が残した思いがけない遺言状の顛末、「完全なる死」のラストも別の意味での効き目がある。
だがやはり、表題作でもある「帝王」だろうか。「老人と海」を思わせる脇役たちもいいし、巨大な魚との長時間にわたる格闘も良い。フォーサイスというと、息もつかせぬストーリーで読ませる作家のような気がしていたが、こうやって読んでいくと、人々がひとりひとりくっきりと描き出されているのがよくわかる。フォーサイス初心者にも絶対のオススメであることは間違いない。
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