それは、とても小さな劇場である。けれど、ずいぶん贅沢な劇場である。
「黄昏かげろう座」久世光彦 角川春樹事務所
久世光彦という人を知っているだろうか。いや、この問い方は失礼か。久世光彦はご存知のとおり、有名な演出家である。「寺内貫太郎一家」などは、いまやCMにもなり、知らない人もないだろう。ただし、あの作品で久世光彦を語ることは誤りだ。ナンセンスコメディの演出家だとたかをくくっていると……意外な深みに目をみひらくこととなる。
黄昏かげろう座は久世光彦の心の中にある劇場だ。
「たとえば今日一日、思い出してみて、誰ひとり私に微笑いかけてくれなかったのではないかと重く心沈む日、昔好きだった人が遠くの町で不治の病に倒れたという報せを聞いた日、(略)、そんな胸ふさぐ日、人は心の奥底に華やかな劇場をもつ」
久世光彦がここで見事に演出して見せるのは、久世本人がいつか演出したいと願い、けれど舞台では(ましてやテレビでなどは当然)その幽玄さを演出しきれないのではと思っている作品たちである。彼はその想像の中で照明を、小道具を、台詞のひとつひとつをうっとりと描き出してみる。
「夏の終わりの疲れた月が、蒼ざめて中天にかかっていたのだが、歌に誘われるように、次第に赤く染まってゆく。何かよくないことが、きっと起こる。舞台、だんだん明るくなると……(略)」(江戸川乱歩「人でなしの恋」)。
たとえば、夢野久作「死後の恋」。ポー「赤き死の仮面」。ドーデー「星」。江戸川乱歩「人でなしの恋」。太宰治「葉桜と魔笛」「満願」。渡辺温「可哀相な姉」。萩原朔太郎「猫町」。谷崎潤一郎「魔術師」。小川未明「赤いろうそくと人魚」。川端康成「化粧」。などなどなど……
そう、この本はある意味で美しい読書案内の本ともなっている。
あなたも、黄昏かげろう座に芝居を観に行ってみませんか?
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