今あるこの時が、どうしてこんなに愛おしいのだろう。スイミングスクールに通うことや、女礼と馬鹿な話をしながら帰ってくることや、つまらない日常のすべてが、愛おしくてたまらない。
 決して取り戻すことの叶わない何かが失われたのだ。
            
  「水銀奇譚」 牧野修  理論社

 物語はロシア(ソ連?)の宇宙飛行士の会話から始まるが、それがどうその先につながるかは……さっぱりわからないまま、シンクロナイズドスイミングに通う高校生の香織の物語へと移行する。
 正しくやっていれば、何も考えなくても噛みあうはずだ、と信じる香織は、自分の動きや泳ぎを完璧にすることを重視し、パートナーである紀子の体力のない動きに合わせることは決してしない。小学校からの友人、女礼との会話でも、無駄な言葉はつかわない。言葉はもっと美しいもので、大切に使わなければならないと思っているからだ。
 そんな香織には、小学校時代、真の科学クラブに入っていたという思い出があった。天才肌の美少年桐生薫を中心としたそのクラブには、早熟な子どもばかりが集まり、お互い以外の存在を<肉>として蔑み、残酷ないたずらを仕掛けていた。その集まりは中心となっていた薫の失踪と同時に消滅していたが、いまになって、当時彼らがいたずらを仕掛けた担任の青田が溺死し、メンバーのひとりもまた行方不明になったことから、同窓会の話が持ち上がる。桐生薫はどこに行ってしまったのか。メンバーのひとり、木村恭一の死体が川で発見され、葬式に出た香織に渡された恭一が遺した手紙には、薫への恐怖と、香織への警告が綴られていた……
 現実と幻想が渾沌とした世界で、痛々しいほどに孤高を守る潔癖な少女が、むかってくるものに立ち向かうことで、自分自身とも立ち向かうことになる。牧野修が描く、真っ向勝負の青春小説。さすが牧野。かなりオススメです。



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