「頑張れよ。人間がなんで十年ばっかしで死なにゃならねえんだ。それじゃ犬や猫と同じじゃねえか」
すると蘭琴は泣きながら、初めて少年の声で答えた。
「おいら、犬や猫とどこもちがわないもの。いいことなんて、ひとっつもなかったもの。これからだってあるわけないや」
「ちがう、ちがう」
「蒼穹の昴」 浅田次郎 講談社
大清国光緒12年・西暦1886年の冬、貧しい糞拾いの少年春児に告げられたお告げから物語は始まる。
「汝は必ずや、あまねく天下の財宝を手中に収むるであろう」と。しかし、同じ白太太のお告げどおりに、亡き兄の親友だった梁家のお坊ちゃん、少爺は科挙に登第したというのに、春児の状況は変わらない。運命を動かすために、宦官になることを決意した春児。そしてその頃、清国では老祖宗(西太后)から光緒帝への権限委譲をめぐって、宮廷は二派に分かれて争っていた。老祖宗に仕えることになった春児と、光緒帝側につく少爺、梁文秀。物語はこのふたりをめぐる人々を中心にしながら、落日の清朝を描き出す。
「このミステリーがすごい! 傑作選」において、「過去10年間の第1位」に輝いた作品である。が、一瞬、なぜミステリー? と思うかもしれない。人物が深く描かれていて、その人々の生き方に感動しているうちに、謎を謎だと気づかせないあたり、同じくミステリーでランキングされた「壬生義士伝」を思わせるからだ。否、これはむしろ、ミステリーとして書かれた物語ではないのに、謎がて低音として響いていることに驚くべきか。
実在の人物たち、実在の事件が、いかに生き生きと、そして彼らだからこそそのように動いたのだと思わせるように書かれていることか。
しかしやはり、春児がいい。病み衰えた母や妹においしいものを食べさせてやりたい、ただその思いだけで宦官になった春児だったが、彼が宮廷にあがる前に母は亡くなり、妹は少爺に拾われて、彼にとって金銭の意味はなくなってしまう。自分のために使うことを知らず、生きる意味さえ見失ったために、ただひたすら他人のために生きる春児に、いつしか人々が吸い寄せられ、春児は思いもかけない権力を手にしていくことになっていくのだ。幸福とは。やさしさとは。作品の中に取り込まれ、いつしか時を忘れる、そんな読書の喜びを与えてくれる一冊でもある。
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