自分が自分であるうちに、自分の全部を戦場で使い尽くす。
母がどうであろうと、父がどこに消えたのであろうと、戦争にくらべたら、たいしたことじゃない……
「総統の子ら」 皆川博子 集英社
1934年、12歳のカールはおよそ400人から100人を選抜する第一次試験に合格し、さらにこれから、一週間にわたる過酷な試験を受けるためにナポラに向かう汽車に乗っていた。国家の最高エリートを養成する目的で作られたナポラへは、NSDAP(国家社会主義ドイツ労働者党)の管区指導者と学校の教官の推薦を得なければ進むことができない。選抜された少年たち。カールは汽車の中で、高慢な少年エルヴィンと知りあい、さらに彼の従兄であるSSのヘルマンを知る。幼い彼らにとって、本物のSS、その黒い制服と髑髏と鷲をつけた制帽は憧れの的だ。
物語は、厳しい選抜試験をくぐり抜けた後の生活――エルヴィンとの友情、クソ真面目な正義派で告げ口ばかりしているティムへの嫌悪、ヘルマンへの憧れ、みずからもヘルマンのようにと訓練に耐えるカールを描く一方、少年たちの憧れを受けるヘルマンの現実の姿が描かれる。総統に直接仕えたいと願っていても、一介のSS少尉と総統とのあいだには、途方もない距離がある。しかも、不身持な過去を持つ義母の存在が、オリンピック選手としても期待されていた彼の将来を消滅させ、ヘルマンは望まない道を進み続けることしかできなくなっているのだ。そんな彼にとって、いつまでも変わることのない憧れと信頼を寄せてくる少年の存在は、いつしか心の支えともなっている。交錯する彼らの運命はどこに向かうのか。
一連の皆川博子によるドイツやポーランドを舞台にした作品の中でも、この話は特に後に残るものが重い。幼い少年が武装SSとなり、祖国のために戦う姿。ヘルマンにしろカールにしろ、エルヴィンにしろ、さまざまな感情を持ち、死や生や愛や憧れ、喜びや悩みを抱えて、生きている。それぞれ、ソ連とアメリカの捕虜になったヘルマンとカールが、捕虜としての尊厳を失わずに耐え続けたのも、兵士としての誇り、人間としての誇りがあったからだ。そのことが丹念に描写されているだけに、後半、戦争に負けたドイツが<人道に対する罪>で裁かれ、それに対しては無実の罪で起訴されるカールに、やりきれなさ、虚しさを感じずにはいられない。勝者が何もかも正しい場所では、敗者の真実は通じないのか、と。
終章で、とある登場人物の一人はこのように語る。
「今思い返すと、ナポラの生活ほど誇らかな楽しい時はなかったと感じる。我々は、耐え抜くこと、死ぬために生きること、他を生かすために死ぬこと、克己と闘争、優れた統率者への信頼と服従、統率者であることの重責の自覚、それらを学び、生きながらえること、生を享楽することは教えられなかったのだが。復興後の、物質的には豊かになった――物と金に支配された――生活に、私は真の歓びをおぼえたことはない。死期に近い今、私は言う。ドイツのために血を流したことを、私は誇りに思っている」
上下二段組で620ページほど。しかし、長さが苦となることはないだろう。同じ頃、日本でも少年たちが士官として養成され、やはり哀しい最期を迎えたのだと、「帰らざる夏」を思い出した。あわせて読むことをすすめたい。
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