「途中、すこし言葉が抜けたようですが……」
 先生はくわっと目を開き、
「概略さえ合っていれば良いのだ」
 と唇を尖らせた。
「それとも君はなにか、これまでに自分が世の中で見聞きしたことを全部覚えているとでもいうのかね? 覚えていないだろう」
 ――子供と一緒である。
               
 「漱石先生の事件簿 猫の巻」 柳広司 理論社

 中学生の「僕」は、ひょんなことから先生の家に書生として居候することになった。もし以前からちゃんと先生のことを知っていたら、そんなことはしなかっただろう。なにせ先生ときたら癇癪持ちで世間知らずで、近所の人までをも苦しめる数々の悪癖の持ち主で……とにかく、とんでもない変人なのだ。しかも先生の家にやってくる人々もまた、極め付きの変わり者ときている。けれどこの家には、探偵小説好きの僕が思わず興味を持ってしまうような謎も発生する。今日も今日とて、隣の車屋の主人が乗り込んできて、先生の家の猫が、車屋の家の鼠を勝手に捕っていったという。だが、名前もまだなく、眠ってばかりのこの猫に、そんな芸当ができるはずもないのだが……
 夏目漱石「吾輩は猫である」を下敷きにした連作短編集。
 エピソードは「吾輩は猫である」で読んだことのあるようなものばかりなのだが、それが謎解き話に結びついている。といっても、先生の変人ぶりは、猫ではなく人間である書生の僕から見てもおかしいことがよくわかるし、読みどころはやっぱり「吾輩は猫である」と同じく、ストーリー云々よりも登場人物たちの奇妙な言動や無駄話にあるのだと思う。
 謎解きの部分はやや強引に見えなくもないのだが、雰囲気を楽しむということで許す。「吾輩は猫である」未読者でも楽しめるとは思うが、もちろん、読んでいるに越したことはないと思う。これを読んだら、ぜひ「坊ちゃん」と「うらなり」も読んでいただきたいものである。



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