「僕が弾くわけないさ。だって、弾く意味がない。音楽はここにもうある」
修人はいい、≪ダヴィッド同盟舞曲集≫の楽譜を軽く指で叩いた。
「僕はもうこの音楽を聴いている。頭のなかでね。だったら、いまさら音にしてみる必要がどこにある?」
「シューマンの指」奥泉光 講談社
いまになって、二十余年も前の手紙や風の噂を思い出して何になろう。だが、「私」は思い出さずにはいられない。その手紙で、その噂で語られた話――Masato Nagamineによるピアノの演奏。だが、永峰まさと――修人は、「事故」で指を失ったはず。手紙をよこした友人が聞いたというように、ほんとうに指の再生術などというものがあったというのか? それとも……? そして「私」は振り返る。音大を目指す凡庸な高校3年生だった自分が、転校生の天才ピアニスト、永峰修人の年上の弟子となった日々のことを。だが、修人が弾くピアノを耳にしたのはたった3回。音楽はある、だから弾かない。それは修人が口癖のように述べていたことであった。
だからこそ忘れがたいあの日……あの夜。伸びやかに歌われ、鮮やかな色彩を伴って弾かれたシューマンの≪幻想曲≫。修人のピアノ。「私」が本当に修人のピアノを耳にしたのは、あの夜だけだったかもしれない。だがその夜の出来事は、もう一つ、陰惨な事件の記憶もともなっていた。同じ学校に通う女子高生の死体がプールに投げ込まれ、「私」も含めた数人がその目撃者となってしまったのだ。結局、誰が犯人かわからぬまま日々は過ぎてゆくのだが、ふとしたことから「私」は犯人に思いあたってしまう……――
音大に進んだものの医学部に転部して医者になり、結婚して3年目に離婚し、と本人が述べるようにありきたりの人生を送ってきたはずの「私」。とはいえ、修人と過ごしたあの日々だけは特別で、そしていま、「私」は手記の中で犯人を告発せずにはいられないのだ。
後半の大どんでん返しはともかくとして、好みのわかれる作品だろうなあ……。天才ピアニストで美少年の修人と、凡庸な才を自覚し、鈍い人間を演じる「私」とのやりとり。それは一種の(というより、途中からはかなりあからさまな)恋愛関係であり、暗い想念を伴っている。「そういう話」が苦手な向きはやめたほうがよい。と思われる。
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