「母さん、ぼくのあの帽子、
 どうしたでせうね?」
          
    「人間の証明」森村誠一  ハルキ文庫

 東京ロイヤルホテル42階のデラックスレストラン、スカイラウンジに向かうエレベーターには、贅沢な装いをした人々ばかりが乗っていた。だが、その中に一人、場違いなみすぼらしい格好をした男がいることにエレベーターガールが気づいた。きっとまちがえて入り込んでしまったのだろう……そして、いつしか眠りこんでしまったのだろう、と思ったそのとき、男の体はずるずると崩れ、コートによって隠されていた胸元が赤く染まっているのが目に入った。おそらくどこかで刺され、そのままロイヤルホテルにやってきて死亡したと思われる外国人、アメリカ国籍のジョニー・ヘイワード。彼はいったいなぜロイヤルホテルにやってきたのか? そして、彼が実際に刺されたと思われる現場近くに残されていた古ぼけた麦わら帽子になにか意味はあるのか? 幼いとき母に捨てられ、残酷な方法で父をも奪われたために人間不信になっている刑事棟居は、ヘイワードの日本での足取りを追うことで、ついに犯人に接近する。だがそれは、犯人の人間性を信じての棟居の賭けとなるものだった……
 西条八十の詩が効果的に用いられ、幼いころの母親への思慕、母と子の愛情、喪われたもの、喪いたくないもの、喪ってはいけないもの……が切々と描かれる。事件はジョニー・ヘイワード殺害だけでなく、不倫帰りに失踪した妻を、妻の愛人と追う夫の話とも絡められ、夫婦の愛情といった点にまで広がりと深みをもたらしている。"人間であること"。人間を信じていない棟居が最後に賭けた、犯人の人間性。だが、これが決して性善説を唱えてばかりいる作品でないことは、アメリカでジョニーの事件の下調べをしている刑事の最後の姿であきらかである。単純には終わらない見事な作品である。



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