「お話しになられる方は、誇張や飾りを申されますな。お聞きになった方は、夢にも他言なさいますな。あるべきようを語り、巌のように胸に蔵うことが、この会合の掟なのです――」
「沙高樓綺譚」 浅田次郎 徳間書店
南青山の高層マンションの上階にある秘密サロン、沙高樓。功なり名を遂げた人々の胸に秘めた真実が語られる。自分の名誉のために、ひとつしかない命のために、あるいは世界の平和と秩序のためにけっして口にはできなかった経験を語る、不思議な夜。集まった人々はそれなりに各界で著名な人々であり、暇ではないけど退屈しているような人種ばかり。「わたし」は偶然再会した友人に連れられて、そのサロンに足を踏み入れた。女装のオーナーに促され、そこで繰り広げられる密やかな話とは――
第一話めに謎解きの雰囲気が強いため、すべてがそのようなものか、と思ってしまうが、そうでもない。ただ、どの話にも謎はある。偽の名刀を打つ鍛冶、好きな人の声だけが聞こえない少女、映画のセットの中に顕れた謎のエキストラ。庭を守りつづけ、庭だけを家族とする老女の不気味さも怖いし、ふと振り返ったとき、この空中庭園に立つ桜の古木の奇妙さも胸に凝る。百物語などというものではない、というけれど……「天切り松 闇がたり」のような明るさがないぶん、異様な感触は浅田次郎にはめずらしい。おそらく最初は文体も意識して変えているように感じられる(最終話などは、かなり地に戻っているが)。
功なり名を遂げたわけではないけれど。どこかで、こんな風に誰かの話を聞き、誰かに話を聞いてもらえるような場所があったらおもしろい。そう、思った。合間に美味しい食事とワインでも楽しみながら夜が更けるままにゆっくりと。
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