やがて、憐憫と憤怒も、彼女の胸から消えて、代わって勝利の歓びが波のようにあふれてきた。
      
 「ポケットにライ麦を」 アガサ・クリスティー(宇野利泰訳) 早川書房

 物語は活気のある投資信託会社から始まる。ちょっと鈍いお茶当番、有能で美人の秘書、口喧しいお局様、こういった女性たちの姿が生き生きと描かれた後――お茶を飲んだ会社社長が、お茶に毒が入っていたといい残して死んでしまう。だが、すぐに死因はお茶ではなく自宅でとった朝食のうちの何かであると判断され、警察は殺されたレックス・フォテスキューの自宅に向かう。
 そこにいたのは、若い男と不倫をしている後妻、父親ともめていたらしい長男、放蕩の末にタイミングよく戻ってきていた次男……と、ひと癖もふた癖もありそうな人々ばかり。いったい誰が犯人なのか。警部は若い妻を殺人犯と睨むが、続いて殺されたのはその妻と、頭の鈍そうなメイドだった。そして、そのメイドの死に怒りを感じたミス・マープルが、フォテスキューの屋敷に乗り込んでくる。
 この話のいったいどこにミス・マープルとの関連が? と思わせるような三つの殺人事件。これってほんとにマープルものだっけ? なんて首を傾げそうになったころ、大きなハンドバッグと上等のスーツケースを抱えて、ミス・マープルが登場する。殺されたメイドは、ミス・マープルが手ずから躾けた少女だったのだ。ただ殺されたばかりでなく、鼻を洗濯バサミでつままれて! 許せない!
 いまにも倒れそうなおばあちゃんだが、ミス・マープルはしゃっきり動き回るし、あちこちの噂話を仕入れることも大得意。立ち聞きはしないが聞こえてくる声に耳をふさぐことはしない。だってそれはハンドバッグの中身を拾っているときに、たまたま聞こえてきてしまったものだし。覗きなんてしないけど、小鳥を眺めるのは趣味なので、ときには双眼鏡にたまたま人物が入ってきてしまったとしても、それは仕方のないことなのだ。
 世の中の人すべてを、セント・メアリ・ミードの村人を基準に判断するのはどうかとも思うが、この話は特にラストが鮮やか。いまでもミステリにはよく使われる手法の一つであるが、おそらくクリスティが最初なんだろうなあ……



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