何が起こっているのか知ろうとすることに意味があるのだろうか。意味が? ちょっと風変わりだけど居心地のいい静かな生活を犠牲にする意味はあるのか。結局、生きていくためには、<十字架>を書いて、人に必要とされなければならないんじゃないか。
「ペンギンの憂鬱」 アンドレイ・クルコフ(沼野恭子訳) 新潮社
恋人に去られ、孤独な生活を送るヴィクトルに寄り添うのは、同じく動物園から見捨てられた孤独なペンギン。孤独な者同士が寄り添って静かに暮らす生活は、風変りではあるが居心地のよいものだった。しかし、売れない短編小説家であるヴィクトルに新聞社から極秘の任務……まだ生きている有名人の追悼文<十字架>を書く、という仕事が与えられてから、世界が不思議な様子で動き出す。次々と死んでいく大物たち。しかもそれは書くばかりで発表されないことに憂鬱を感じていたヴィクトルのため、ある一人の人物を殺した結果、トランプを立てて作った家が崩れるように次々に起きたことだというのだ。これまで触れたこともない世界の暗い部分が迫るのを感じつつも、一方でヴィクトルはペンギンを通じて警察官のセルゲイと友情をあたため、ペンギンの研究者であるピドパールィと知りあったり、ペンギンと同じ名前をもつミーシャの娘、ソーニャを預かったりしながら、ささやかな幸福を感じる生活を営み続ける。心臓病で憂鬱症のペンギンと暮らしながら。
とにかくペンギンがよい。
ペンギンのミーシャのふとした動きが物語に与える深みというか、ただのペットではないし、ペンギンがいなければ物語そのものが成り立たないだろうと思わせる存在感がすごい。壁の近くに立っていたり、廊下をぺたぺた歩いたり、主人公の膝に白い胸を押しつけてきたりするだけなのだが。しかも、このペンギン人気のおかげで、このペンギンの続きが読みたいという読者の希望が多く、この作品の続編までもが書かれたのだという。……確かに読みたい!(ネタばれになるので詳細に書けないのが残念だが、ラスト近くでこのペンギン、ついに重病に陥るのだ……)
自分の書いた<十字架>が、死ぬべき人間の選別に使われているという不条理さよりも、とにかくペンギンを味わう作品(といい切っていのか……)。傑作。
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