「あのゲーム、あの特別な人形、それがあの連中になにかを教えたんだよ」
            
「パーキー・パットの日々」 フィリップ・K・ディック(浅倉久志他訳) 
                                          ハヤカワ


 ご存知(なのかどうかはさておき)ディックの傑作短編集の1冊め。ディックが得意とするところの人間そっくりなロボットの話「変種第二号」や記憶改竄、失われた記憶、過去に対する恐怖……に関する話など、たしかにディックらしい話が収められている。中でも「パーキー・パット」は他の短編、長編でも繰り返し使われているネタでもあり、一読の価値はあるだろう。
 パーキー・パット、というのはおそらくバービー人形のようなお人形である。ブロンドであったりブルネットであったりするが、いわゆる八頭身のすらりとした美人の女の子人形。戦争により地下生活を余儀なくされた大人たちが、日々、パーキー・パット人形で遊んでいる。与えられた援助物資の多くもパーキー・パットの世界を作るために用いられ、模型セットはさながら過去の豊かな時代そのままに整えられている。全自動の電子芝刈り機や、自動開閉装置のある車庫。電子アイのついたドアのあるスーパーに通うパットはときには精神分析医にもかかる。かつて、ひとびとがそうしていたように。閉ざされた地下シェルターの中で繰り返し、繰り返し続けられるゲーム。子どもたちが上界と呼ばれる外で狩りをし、自活しようとしているのとはまるで反対に閉塞し停滞している大人たち。だが、そんな日々も、べつのシェルターで遊ばれているコニー・コンパニオン人形の話を聞いたときから少しずつ崩れてくる……
 たかが人形遊び、だろうか。パーキー・パットで遊ぶ大人たちはたしかにその真剣さが滑稽でもあるのだが、パット絡みの話が出てくるたびに思い浮かぶのは箱庭療法、などというものであったりもする。
 いずれそうなるのではと思わせるほどの力を持った世界を暗澹とした気分でのぞいてみる……この本はそんな楽しみ方をしても、いいかもしれない。



オススメ本リストへ