「記憶はそこにある。しかし回復回路が働いていない。アルツハイマー病に似ていますが、精神的外傷が誘発したものです。どんな理由からにせよ、いまその回路が再接続されつつあるんです」
               
 「人形の記憶」 マーティン・J・スミス(幾野宏訳) 新潮文庫

 8年前、婦人警官テレサ・ハーネットを暴行し、瀕死の重傷を負わせた容疑者カーメン・デラ・ヴェッキオ「案山子」。事件後から8年の間服役していたヴェッキオの再審請求が認められ、テレサにとっては悪夢のような男が出所してきた。当時にはまだ無かったDNA鑑定により、新たな証拠は別の真犯人を指し示していたのだ。だが、一方で警察はまだ、ヴェッキオの犯罪であることを立証しようとやっきになっていた。そして、そのためには、ほとんど失われたテレサの記憶、8年前、この男が犯人であると指さしたテレサの記憶が頼りだった。だが、その記憶はほんとうにテレサ自身のものなのか?
 ヴェッキオの出所直後から、見知らぬ男からの電話に悩まされるテレサ。しかもそのヴェッキオのものではない声は、犯人にしか知りえない事件の秘密を語った。テレサは心理学者であり、8年前の裁判でテレサの記憶を作られたものではないかと指摘したクリステンセンのところに助けを求めに行く。彼女の記憶は操作されているのか? それとも、ほんとうにヴェッキオが犯人で共犯者がいるだけのことなのか? 戻ってきた記憶の真実とは。
 物語の中心は、心理学者のクリステンセンである。大学教授でもある彼は、積極的に捜査にかかわるわけでもなく、どちらかといえば常に受け身の立場をとっている。同居しているブレナがヴェッキオの弁護士ということもあり、クリステンセンの立場は微妙なのだ。振りまわされ型の男が、気の強い女性に苦労する姿なども、この物語の見所のひとつ。クリステンセンがいい男なだけに、なんでブレナみたいに性格の悪い女と……と思いながら読んでいくことにもなるかも。
 登場人物の人間としての深みもあり、オススメのミステリになっている。



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