「あなたはときどき、わたしのことを死者の代弁者だと言いましたね」
              
「謎のクィン氏」 アガサ・クリスティ(嵯峨静江訳)早川書房

 上流階級の人たちとの交流を愛し、芸術家を擁護し、人々がドラマを演じるのを観察する、サタースウェイト氏。独身のまま60歳を越えた彼は、人生の傍観者であった。しかしある日、不思議な人物と出会うことで、彼はドラマの舞台に足を踏み入れることを楽しみとしてゆく。それは現在から過去を振り返ること、それによって過去の謎を解き明かすことであった。
 連作短篇集。
 謎めいたハーリ・クィン氏の持論は、こうである。
「同時代の歴史家よりも、構成の歴史家のほうが、かえって真実の歴史を書けるものです」
「個人的な誤差がだいぶなくなっていますから、自分の解釈を加えずに、事実を事実として思い出せるでしょう」

 妻によって仕組まれたとされる毒殺事件の真相、宝石盗難事件、若き新郎の自殺。
 いまなお現在に生きる人々を苦しめる過去を、少しずつ辿っていくことで見える真相。その意外な結末。そこには、人生の観察者であるサタースウェイト氏の、観察者ゆえの発見があるのだが、それを引き出すのはクィン氏。どこからともなく現れ、そして去ってゆく謎の人物なのである。
 クィン氏は存在自体が既に謎となっている。「探偵」の存在意義を問うような一冊。クリスティがこんな作品を書くんだ、というのも新鮮であった。気楽に読める本でもあります。



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