ボシェルはこの事業がなしとげられるという確信をいだきはじめた。
「寿限無、寿限無」(「どろぼう熊の惑星」所収) R・A・ラファティ(浅倉久志訳)
世界のはじまりにおいて優柔不断だった、か弱い臆病な生き物ボシェルは、優柔不断の咎で罰せられることとなる。ロサンジェルスのニュース・スタンドで一冊の本を立ち読みした大天使ミカエルが生み出したその刑罰とは、
「もし六ぴきのサルが六台のタイプライターの前にすわり、充分に長い時間をかけて打ちつづければ、いつかはシェイクスピアの全著作を一字一句たがわずタイプできるだろう、と。時間なら、われわれにはたっぷりある。そいつをためしてみようじゃないか」
ということで、ボシェルに与えられたのは猿とタイプライター。そして、ミカエルが作ってくれた時計。一辺の長さが一パーセク(約31兆キロ)もあり、磨き上げられた立方体。千年に一度ずつ、一羽の小鳥が飛んできて、この岩でくちばしを研ぐ、その摩滅ぐあいがボシェルにわかる時間の経過なのだ。
そしてボシェルの倦怠と希望の日々が始まる。
一ぴきの猿がシェイクスピアの単語をふたつ連続でたたき出したときには、とっくにシェイクスピアの母星は店じまいしていた。けれどボシェルも猿も、数十億世紀のサイクルをひたすらひたすら繰り返す。そして……――
さて、ほんとうにそれだけの歳月をかければシェイクスピア全編は打ち出されたのか?
ラファティのSFは基本的には小説ではなくて「お話」で、ユーモアたっぷりでのどかなほら話……のはずなのだが、得てして難解な部分もなきにしもあらず(このあたりは訳者あとがきを読んでもらうとよくわかる)。とはいえ、これはわかりやすい話をまとめた短編集なので、ラファティ初心者にはぜひ! とすすめたいもの。時間も歴史も世界も人も。なにもかもが「正確さ」なんて無視して進められるお話は「むかしむかしあるところに……」ではじまる物語たちとなんと似ていることだろうか。
ただし、ラファティのSFはシマックのようなのどかさとは一味違う。キャンプファイヤーを囲みながら語られる「こわい話」ってほうが近いかも……個人的には「草の日々、藁の日々」がオススメ。
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