「納得する必要はない。辛いことが、辛くなくなることはない。自分の腹に収める場所を見つけるだけだ。俺も、そうしてきた……」
          
 「レディ・ジョーカー」高村薫 毎日新聞社

 1947年に書かれた怪文書から物語ははじまる。戦前から戦後にかけて急成長を遂げた日之出麦酒について書かれたそれのどこが「怪文書」なのか。「戦後」に生きている者にはわかりにくいところもある。これは登場人物のひとり、秦野浩之のとまどいでもある。この文書に批判の意識を感じず、ただ、自分とひどく似た男の書いた文章だと感じる秦野。作品中にはこのように書いてある。
「詰まるところ、これは、この自分とひどく似た男の話なのだと秦野は思い至った。実に似ていた。半世紀の隔たりはあるが、一人の男が貧困を知りながら、一切の歴史的社会的意見を持たなかったことも。日之出への未練が断ち切れないまま、己の健康や将来への諸々の不安に押し流されて、意図不明の手紙を日之出に送ったりした、この無様も」
 しかし、この一通の意図不明の手紙から端を発し、物語は日之出麦酒社長の誘拐、異物混入事件へとつながっていくのだ。
 この深み。犯罪にむかうものたちにも、犯罪の被害者にも、そして犯罪者を追う刑事にも、新聞記者にもそれぞれの過去があり怨念がある。ひとは、肩書きではなく、それぞれに内面を持ちそれぞれに感情を持って、生きている。高村薫の作品は、そんなことを考えさせる物語である。


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