なんてしあわせな男なのか。悩みなんてひとつもないんじゃないのか。
           
   「空中ブランコ」奥田英朗  文藝春秋

 精神科医伊良部シリーズ第二弾。伊良部は相変わらずである。今回はうまく飛べなくなってしまった空中ブランコ乗りの往診にかこつけて、伊良部が空中ブランコに挑戦する。恐怖心や緊張といったものはカケラもない伊良部は、その体重からは信じられないことに、あっというまに空中ブランコでのスイングを身につけ……るわけはないのだが、それなりにサマになっていたりするから恐ろしい。しかも患者の話は相変わらず聞かない。この男、カウンセリングを何だと思っているのか。
 尖端恐怖症のやくざ、ボールのコントロールを失ったプロ野球選手、新作が書けなくなってしまった女流作家などなどが登場するが、やはりなんといっても「義父のズラ」が秀逸。伊良部の元同級生で、大学教授の娘婿となった池山達郎の悩みを解消するため、伊良部がとった手段の大胆で突飛でユニークなことは、もうなんというかハチャメチャである。
 それでも相変わらず、話なんて何も聞かない伊良部のところに通って、なんだか無茶なことやられてるなあ、自分に比べてこの医者はなんてしあわせなんだ、なんて脱力しているうちに、患者みずからが癒えてゆくあたりはパターン化していても安心して読める。どの患者に対しても、それを上回って「同じこと」をやってしまう伊良部、やはり名医か。患者たちは、伊良部によって己を振り返る冷静さを取り戻すことで癒されるのかもしれない。とはいえ、
「知り合いはいやで、知らない医師はもっといやだった。伊良部はそのどちらにも属さないように思えた。なぜか異国で医者にかかる感覚なのだ」
 というあたりが、伊良部の特殊性をよくあらわしているようにも思う。こんな神経科なら一度くらい行ってみてもいいなあ……



オススメ本リストへ