"籠の鳥が死ぬわけを知っています―――
  鳥たちと同じように、あたしも空にふれたから"
       
「空にふれた少女」(「キリンヤガ」) マイク・レズニック(内田昌之訳) ハヤカワ

 ユートピア、理想郷といわれたら、どんなものを思い浮かべるだろうか。この物語は、ユートピアをつくりあげ、守ろうとしたひとりの老人の話である。
 ヨーロッパ人の生活様式に染まり、キクユ族としての誇りを忘れてしまった人々から逃れ、わずかな人数の「キクユ族」がユートピア小惑星、キリンヤガで暮らしはじめる。そこはキクユ族のためのユートピア。キクユ族が黒いヨーロッパ人としてではなく、キクユ族として生きられる場所だった。設立認可を受けるために奔走した者たちが願ったユートピアとは、おのれの信仰と伝統に対して誠実さを保ち、ヨーロッパ人の誘惑を拒絶してキクユ族の生活様式を守るというもの。生活は厳しく、一夫多妻で、老いたもの、弱いものは野におきざりにされてジャッカルの餌食となる。けれど、かつてのケニアよりも豊かな土地には作物が実り、人びとは安楽に暮らしていた。夜になれば酒を飲み、歌をうたって。
物語の語り手、キリンヤガの祈祷師であるコリバはアメリカとヨーロッパで教育を受けたという過去の持ち主。コンピュータを使って保全局と連絡をとり、気候を操作する力を持っている。しかし、彼が人々の生活をどんなに守ろうとしても、いつしかユートピアはコリバが願っていたものとは少しずつ違ってきてしまったのだ……―――
 コリバが理想としていたもの。キクユ族がキクユ族として生きることを願う、そのこと自体はけっして間違ってはいなかったろう。それでも、怪我をして苦しんでいるときに、すぐなおる注射一本と、十日経てばなおるという薬草の、どちらを選ぶだろうか。石に叩きつける方法より、洗濯板を使う方法を知ってしまったら、どちらを選ぶだろうか。考えてもみてほしい。古きよき時代への憧れがどんなにあっても、あなたは、いまのこのなにもかもが揃った豊かな生活を、捨てることができるだろうか?
 コリバが理想を説けば説くほど、人びとはコリバを頑固なもののわからない老人としてしか扱わなくなってしまう。「キリンヤガ」のラスト、コリバの最後は深い余韻を残す。
 ところで「空にふれた少女」はまだキリンヤガがユートピアとしての姿を保っていたころのお話。女性には学ぶことが許されず、そもそも書きことばを持たないキクユ族の中にあって、生まれつきの聡明さで文字に憧れ、書くこと、読むこと、知ることに憧れた少女の物語。彼女の嘆きはせつなく、何度読んでも胸にせまるものがある。


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