昨日と同じ夜が今日も続く。だが昨夜と今夜は確実に何かが違う。
         
    「聞き屋与平:江戸夜咄草」 宇江佐真理  集英社文庫

 両国広小路の薬種問屋、任寿堂の隠居与平は、なに不自由のない生活を送っていた。話し相手がいないわけでもなく、独りで暮らす寂しさを感じることもない。だが、五と十のつく日には、与平は店の通用口の外にひっそりと置き行灯をのせた机と小座蒲団を出して「聞き屋」をはじめる。八卦でもなく、代金も相手次第。姑の愚痴や嫁の悪口、恋人への未練。ひとびとの語る様々な話に、ただじっと耳を傾ける。それが与平の商売とも趣味ともいえぬ「聞き屋」稼業なのだ。
 薬種問屋「任寿堂」は、八代目の主人が放蕩のあげく火事で店を失った後、与平の父が再起して成し遂げた店である。もともとは女中の妻は老いてもなおくるくるとよく働き、本店を任せている長男、同業者の店に婿入りした次男、出店で働く三男はそれぞれに仲が良い。だが、岡っ引きの鯰の長兵衛は、かつての火事に何か裏があったのではないか、与平の聞き屋は、何らかの罪滅ぼしの意味があるのではないかとつきまとってくる……
 連作短編集。
 読み始めるまでは、聞き屋という商売がいったい成り立つものかどうかと思うし、特に何をするでもなく、ただ話を聞くだけで物語としておもしろいかと思ったのだが、これがなんとも魅力的。ほとんどの場合、与平は耳を傾けるだけで、取り立てて何をするでもないが、吉原に売られそうになっている一膳めし屋の女中およしを助けたり、心やさしい掏摸にちょっとした知恵を授けたりと、たまに手を貸すこともある。それがまた、物語を少しずつ動かしていくことにもなっていくのだ。
 話をしたい、聞いてほしいという人はどこにでもいるもの。聞き屋という商売は、なかなかいいところに目をつけたものだともいえるだろう。




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