おとうさんとかおかあさんとか呼べる人がまわりにいたことなんてただの一度もないような、そんな気持ちになった。そう思うことは、決してさびしいことではなく悲しいことでもなく、うっとりするほど気持ちのよいことに思えた。
「キッドナップ・ツアー」 角田光代 新潮文庫
夏休みの第一日目、「私」、ハルはユウカイされた。誘拐犯はおとうさんだ。最初は悪ふざけかと思っていたのだが、おとうさんはハルをほんとうにあちこちに連れまわす。二か月前から家にいなくなっていたおとうさん。いないことがあたりまえになりすぎて、好きでも嫌いでもない存在になっていたおとうさん。おとうさんとハルの会話はぎこちなく、ふたりの間にははてしなく広い空間だけがある。
海水浴に山登り(というか、安い宿坊めがけて山を登るはめになったのだが)、肝試しにキャンプ。おとうさんのいうことにはナットクのいかないことも多いし、電話で取引しているというおかあさんとの話の内容もわからない。やりきれない思いはいっぱいあるけど、朝から晩までふたりきりで過ごす時間の中で、ふたりの距離は近くなっていく。
ちょっとつっぱった感じの背伸びした女の子が、怪談話に本気で怯えておとうさんの腕にすがったりするところが可愛い。
おとうさんが何故家を出て行ってしまっているのか、だいたい、いま仕事はどうしているのか、とか、おかあさんとは何を取引しているのか、とか、そんなことはさっぱりわからない。おとうさんはときどき説教くさいことをいうのだが、それがハルの胸に響いてハルが変わった……なんてこともない。ハルは最初から最後まで、ハルのままだ。それでも、確実にふたりのあいだにあったぎこちなさや空間は色を変えている。
書かれていない部分のほうが大きくて、うまく説明できない。というより、それを書いてしまったらいけないのだと思う。だから、読んでください。きっと、書かれていない部分に感じるところが、きっとある。
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