フランツ、早く、大人になって。たくましい青年になって、わたしをここからさらって。
「死の泉」 皆川博子 早川書房
1943年。「わたし」、マルガレーテは、未婚のまま身ごもった女たちが安心して子供を生める場所、<生命の泉(レーベンスボルン)>の施設にいた。ナチスの政策によってアーリア人種の子供が増えることが奨励されていた当時、未婚のままで子供を産むことにはなんら問題もなかったが、マルガレーテには黒髪で黒い瞳をした祖母の記憶があった。生まれてくる子が黒髪であったら処分される――その噂のとおりであるなら、この子供を助ける手段はどこにあるだろう。幼なじみであり子供の父親であるギュンターにはすでに愛情など抱いてはいない。だが、お腹の中の子供は守りたい。マルガレーテはレーベンスボルンでおぞましい生体実験を繰り返しているという噂のあるドクター・クラウス・ヴェッセルマンの求愛を受け入れ、彼の妻となることで身の安全を確保する。一方、ドクター・ヴェッセルマンにも思惑があった。天使の声を持つ少年エーリヒを手元で育てたいヴェッセルマンだったが、独身のままでは養子をもらえないため、結婚する必要があったのだ。ヴェッセルマンにはエーリヒを手元で育て、永遠に天使の声を持つカストラートとして育てたいという野望があった。エーリヒ、そしてエーリヒの兄として暮らすフランツの二人は、そうとは知らないままドクターの歌唱指導を受け、いつしかマルガレーテを母のように、姉のように慕って穏やかに暮らす。だがそんな日々は戦況の厳しさによって失われようとしていた。
そして十五年後のミュンヘン。ギュンター・フォン・フュルステンベルクは、どこか薄気味悪さをもつドクター・ヴェッセルマンと出会い、彼が異常なまでの関心を見せた大道芸人の若者ふたり、いずれカストラートになるという彼の息子、そしてかつて自分の恋人であったマルガレーテとの出会いを通じて戦時中<生命の泉>で行われていたおぞましい生体実験の秘密に近づいてゆく――
絡み合うさまざまな謎。しかし一番の謎は――この物語の真の姿、にあるのではないだろうか。
実はこの本、ギュンター・フォン・フュルステンベルクの書いた「死の泉」の翻訳という体裁をとっている。そして訳者である野上晶は「あとがきにかえて」で、作者のギュンターに会いに行ったときのことを記しているのだが、数ページにしかならないそこで示された描写によって、それまで読んできた物語がぐらりとひっくり返るような気分を味わうことは間違いない。非常に凝ったつくりになっているのである。
ちなみにこの訳者野上晶の代表的訳書に「倒立する塔の殺人」 「薔薇密室」があることにも注目。皆川博子最高傑作のひとつ。オススメ。
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