ありふれた夢を見た。わたしに名前がある、という夢を。ひとつの名前が、変わることなく、死ぬまで自分のものでありつづける。
               
「貸金庫」(「祈りの海」所収) グレッグ・イーガン(山岸真編・訳)  早川文庫

 イーガンの短編をSFマガジン上で探すようになったのはいつからか。長篇になると途端に理系音痴のわたしには苦しいものになってくるが、短編の読みやすさ、ストーリー展開のテンポのよさは絶品である。
 短編集「祈りの海」に収められた11篇のうち、好きなものをひとつ…といったら、なんだろう。「貸金庫」か、「キューティ」か。表題作の「祈りの海」ももちろん捨てがたいし…うーん。
 共通しているのは、自分がいままで信じきっていたものの真の姿を見たと思って絶望すると、さらにその先がある――ということだろうか。「貸金庫」の主人公は、定まった「自分」というものを持たず、宿主の頭の中を転々として暮らしている。ただひとりで、なぜそうなったかもわからず。そしてある日、彼は奇跡的な出会いをするのだ。もしかしたら「自分」かもしれない相手と。真実は必ずしも美しいものではない。けれど、真実を知った上で起こす行動は美しい。「キューティ」もそうだ。赤ん坊がほしいと願い、ついには自分で生むことを決意した男性が選んだのは、「キューティ」という……法的には人間ではなく、四歳の誕生日には必ず死ぬようにプログラムされた子どもだ。脳の発達をつかさどる遺伝子に多大な欠損が与えられているために、知性は犬にも劣る、可愛らしい天使。しかし、彼の手に入れた海賊版コピーには思いも寄らない欠陥があり、それが彼自身を破滅に追い込んでいく。突きつけられたのは自分の真の思いか、それとも?
 ある意味では非情に人間の感情を突き放しているようにも見えるが、むしろここにあるのは生きることの強さのようにも思われる。



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