「イナイ、イナイ、ドコニモ…イナイ…」
「ふたりのイーダ」 松谷みよ子 講談社
お母さんが仕事で出張に行くあいだ、妹のゆう子とともにおじいさんの家にあずけられた直樹。その町で直樹は、ふしぎないすに出会う。コトリ、コトリ、と歩きながら、「イナイ、イナイ……」とつぶやくいす。なにを、だれを探しているのだろう。奇妙な思いにとらわれた直樹をよそに、いつのまにかいすとすっかりなかよしになったゆう子。しかも、いすはゆう子のあだなである、イーダという名前で呼んでいるのだ。「ゆう子はぼくの妹なんだ」という直樹にむかって、イーダはここのうちの子だ、といういす。ゆう子はもしかして、イーダの生まれ変わりなのか? いつしか直樹はいすの謎を明らかにするために動きはじめる。
りつ子という年上の協力者を得ていすの謎にむかいあった直樹が知ったもの。いすの住む家のカレンダー、二六〇五年はなにを意味しているのか。おじいさんたちが語る、七つの川が死体で埋まったという昔、りつ子とともに行った広島のとうろう流しを横糸に、美しく織り上げられてゆく物語の哀しみ。
いまのわたしたちは、直樹以上に「戦争を知らない子どもたち」であるだろう。コトリ、コトリと歩くいすの哀しみを、どれだけ汲みとることができるだろうか。八月六日、広島に原子爆弾が落とされた日のことを語るりつ子のこころのうちを、どれだけ汲みとることができるだろうか。この話は、数年前の「いすとの出合い」から書きはじめたものだと作者は書く。いすと対話することでこの物語は作られていったのだ、と。「りつ子の存在が架空のものでないとしってつらかった」と。過去を忘れることは許されないと、この言葉は教えてくれるような気がする。過去は決してなくすことのできないもの、かならずそこにあるものなのだから。
しあわせな日々を祈る最後の直樹の言葉に、胸が痛くなる。せつない佳品である。
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