五年後、十年後……。僕とケイは、いったいどうなっているだろうか。僕は無意識に敏彦さんが書いた物語のことを思い出していた。
 あの星磨きのウサギは、あと三十万光年も離れて暮らさなければならないのだった。そんなの僕にはちょっと耐えられそうになかった。
            
    「一億百万光年先に住むウサギ」 那須田淳 理論社

 中学三年生の「僕」、大月翔太が恋樹(こいのき)の話を聞いたのは、足立先生からだった。ドイツの森の奥深く、樹齢五百年をこす樫の木が、恋人たちの想いをつなぐポストになったという。そして、足立先生の家で雑用をしていた翔太が頼まれたのは、この話を聞いて、桜の木に宿る一億百万光年先からやってきたウサギのお使い仙人に相談ごとをしている女の子への返事を、足と手首をいためた足立先生に代わってパソコンで打ち、恋樹まで運ぶという仕事。古風な手紙のやりとりをしている女の子への足立先生の答えは、ときにしゃれていて、ときに優しくあたたかいものだった。そんなある日、ウサギ仙人の代理として森に入った翔太は、そこで隣に住むケイの姿を見かける。精霊にお願いをしていた女の子は、ケイだったのだ。だが、そのケイはちょっとした誤解から翔太のことを激しく嫌っているようで……
 人の想いと想いを織り上げた素敵な物語。
 物語は過去の恋物語も絡んで、さりげない日常の中で、誰かを愛する気持ちや、誰かを愛し続ける気持ち、信じる気持ちの美しさを描き出す。オーケストラを解雇されて無気力になってしまった翔太の父、そんな父を励まそうと、無理に明るく振る舞っているように見える母、自分の父親のことを名前でしか呼ばないケイ、ドイツから突然現れた孫に戸惑う足立先生……ともすれば激しい感情のやりとりが行われても仕方ないような場面でも、相手への思いやりを忘れない彼らの姿があたたかく美しい。優しく穏やかな文体も心地よい佳品である。



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