日本の武士道とはこれなのか。ついに最後まで人を救わないのか。「人格者牛島」とあがめられた偽善者の手にかかって、われわれは命を失わなければならないのか。軍人の体面、武士の意地、日本人のむなしいみえや美名のために、友や、同胞や、親たちや、住民や、兵隊たちを殺し、わたしたちをはぐくんだ故郷の山河も美しい姿を消していく――。
「ひめゆりの塔」石野径一郎 講談社文庫
太平洋戦争末期、沖縄県立女子師範学校と、第一高等女学校の生徒たちからなる「ひめゆり部隊」に編成された特志看護婦の中に、伊差川カナはいた。成績も優秀で人望も厚いカナは、戦争が激しくなるまではつねに学校の代表者であった。だがいまは、平和時代の秀才であるカナよりも、戦時型の優等生である暁子のほうが、校長にはうけがよかった。自分の頭で考え、戦争に疑問を持ち、ときにそれを行動で表すカナよりも、皆の先頭に立って指揮をとる暁子の方が、大人たちにとっては望ましかったからである。砲撃が激しくなり、本当に沖縄が守ってもらえるのか、本土から見捨てられたのではないか……と疑念を抱きたくなるほどの苦しみの中での行軍。だが、逃げた先が安全であるとも限らない。
先の見えない不安、押しつぶされそうな恐怖。そんな中でも、カナをはじめとする少女たちが、少女らしい想いを抱いたり、女性らしさを失わずにいる姿が痛々しい。そしてまた、女性である、少女である、ということは、大人の男たちには対抗できないということでもあるのだ。戦争は終わった、アメリカ軍は決していわれているような鬼畜ではない、いま降服すれば命は助かる。それがわかっていて、それでもなお、愚かで無理解な男たちのいうがままに死を選択させられる。
深い哀しみと苦しみを描くことで、平和と生命の歓びを伝える作品。
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