「三隅さま、わたしはありったけの知恵をしぼって、こわすための橋、人をわたすためでなく、人をおとすための橋ばかけました。もういちど、こんどは人をわたす橋、岸と岸をつなぐ橋ばかけたいと思うとります」
                 
 「肥後の石工」 今西祐行  講談社

 鹿児島の橋には、ひみつがあった。どの橋も、中央のひとつの石をとりはずすと次々に石がくずれおち、簡単に取り壊される仕組みになっているのだ。それは戦のとき、橋を落として城を守る仕組みだったが、このひみつを守るために工事が終わると石工たちは全員「永送り」……ひと目につかないような国境で刺客に切り捨てられた。しかし、人きりの徳之島の仁も、石工頭の岩永三五郎だけは切ることができず、三五郎はただひとり生き延びて村に帰る。だが、そんな彼を夫や父親、息子を失った村人たちは冷たく迎える。三五郎自身も、何度死にたいと願っただろう。それでも三五郎が死ななかったのは、橋のためだ。橋をかける技術をだれかにじゅうぶんに伝えてから死にたい、戦のためではなく、ひとを渡すための橋をつくりたい……と。
 死にたいと思いながらも、橋をかけることに心を砕く三五郎。人に信じられず、憎まれ、そしられながらも橋のために生きようとする彼の生きかたは哀しくも強い。その橋が、彼を憎み、そしる人々のためであるがために。人きりの徳之島の仁。命乞いをする石工たちを次々に切り捨てたという彼だけれど……不思議と憎めないのは、彼もまた、圧政に苦しむ百姓のひとりであったからだ。
 敵を落とすため、こわすために存在するのではなく、人々が渡るため、便利な生活のために存在する橋は強く美しい。そしてまた、その橋がひとの心と心をつなぐときにわきあがってくる感動を、ぜひこの本で味わってもらいたい。



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