「あの子たちは、――クラスのみんなはね、なにもわかってないのよ。自分たちのしてることの意味がわかってないのよ。自分のしたことが人をどんな気持ちにさせるものなのか、人の痛みなんて考えたこともないの」
                  
  「ヘヴン」川上未映子  講談社

 中学生の「僕」は、ある日、ふで箱の中に入っている小さなメモを見つけた。薄く細い筆跡で<わたしたちは仲間です>と書いてあったメモ。それは、僕を殴り、蹴飛ばし、チョークを食べさせ、荷物運びをさせ……そんな風に苛めている二ノ宮たちのグループの新しいいやがらせなのだろうか。けれど、メモはそれからも机の中に入っていて、<きのう雨が降ったとき、なにをしていましたか>とか、他愛のない質問を続けてきた。これはもしかしたら、二ノ宮たちとは別の、もしかすると僕に対するいじめやいやがらせとは、まったく関係のない人物からのものなのだろうか? 
 メモの送り主は、やはり同じようにクラスの女子からいじめられているコジマだった。貧乏だとかくさいとか、そんなことをいわれていじめられているコジマを、僕はこれまでよく見たことはなかったし、話をしたことさえなかった。けれど、ふたりがやりとりするようになったメモの中では、ふたりはクラス内のいじめや暴力とはまるで無縁の、いきいきとした中学生のようなやりとりを楽しむことができた。誰にもわかってもらえないことを、コジマとなら、わかりあえるような気がした。しかし、二ノ宮たちのいじめはさらにエスカレートし、コジマもまた少しずつ変化していた。くっきりとした濃さで書かれるようになったメモ。それは、コジマの中の何かが、強く表出してきたということなのか……
 僕もコジマも、ある特殊な事情から、周囲から浮き立ち、いじめられている。というか、自分たちはそのせいでいじめられていると思っている。だが、いじめるほうはどうか? 別に相手など誰だっていい、ただしたいからやってるだけで、だから罪悪感なんて感じないのだ。同じ言葉を話しているとは思えないほどに、理解し合えない相手と過ごさねばならぬ苦痛。中学生という季節の残酷さ、重苦しさ、いやーな感じが出ていて、はっきりいって、厭な小説である。
 2010年度本屋大賞ノミネート作品。



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