彼女は強い思い込みにとらわれており、また、大変な策略家だが、同時に、自分をしっかり律してもいる。わたしは彼女にやや恐ろしさを感じた……
「蛇の形」 ミネット・ウォルターズ(成川裕子訳) 創元推理文庫
1978年の冬、「わたし」、ミセス・ライラは家の前の側溝に“マッド・アニー”と呼ばれ、近所で嫌われていた黒人の女性が死にかけているのを発見した。彼女の本名はアン・バッツ。黒人で、トゥレット症候群という病気に悩まされていたアニーは、近所の人たちから毛嫌いされていた。そのアニーが、冷たい雨の中、死んでいこうとしているのだ。当初、自動車事故だとされたそれを、わたしは殺人だと確信した。だが確証はなく、近所の人たちとも夫とさえ気まずくなり、体調も精神も崩したわたしは、夫の海外赴任をきっかけにその地を去った。だが、アニーのことを忘れていたわけでは決してない。
20年後、イギリスに戻ってきたわたしの手元には、当時の新聞切抜き、警察の所見、担当警察官の勤務評定、アニーの担当医の見解等々、たくさんの資料が集まっていた。夫には内密に収集してきたそれを、いまこそ活かすときなのだ。わたしは過去にかかわりのあった人々と再会し、当時のことを丹念に掘り起こしてゆく。
わたしのファーストネームは最後まで明らかにならない。わずかに、「M」というイニシャルが明らかになるだけである。「ミセス・ライラ」、よき妻であり、母である女性が、強迫観念に取りつかれたかのように、自分とはまるで関わりがなかった女性の死の真相を暴いてゆく。20年という歳月の間に、変わった人もいれば、変わらない人もいる。過去の事件を掘り起こしていくことは、現在の誰か、当時の事件とはかかわりのない誰かを傷つけることにもなりかねない。それでも、Mが真実を明らかにしたかった理由――アニーの死の謎ばかりでなく、Mの心の謎も解き明かされてゆく。
女性一人では限界があり、調査はそう簡単には進まない。それでも、丹念にもつれた糸をほどいていくMの執念は感動的である。殺人そのものが陰鬱な事件であるし、殺人者と疑われる人たちもそれぞれにいやな連中ばかりなのだが、それでも最後には差し込む光が見えてくるような気がするのが、この作品をオススメする理由。エピローグは他の作品にないほど、優しい光に満ちている。
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