「その人の噂、聞いたことない?」
「そんな奇妙な人が、いるんだね」
「世の中はひろいのよ。でも、そうか、知らないのか。会ってみたいんだけどなあ」
鈴木さんはざんねんそうにする。本当はその女子生徒に心当たりがあった。そんな変人がほかにいるとはおもえない。鈴木さんの語ったその人物像は、どうかんがえても姉の潮音だった。
「青春絶縁体」(「箱庭図書館」所収)乙一 集英社
長じてのちに小説家になる山里秀太には、とてつもない活字中毒の姉がいた。山里潮音。車内で読書をしていたら、続きが気になって降りられなくなってしまうなんてことは日常。たとえバスを降りられたとしても、読書を我慢できずにとうとう帰宅をあきらめてしまうほど。雪が降っていても、凍えそうになりながら読書を続け、弁当を食べながら読み、階段を降りながら読み、転げ落ちてもまだ読み続ける……――とはいえ、これは別に潮音が主人公の物語ではない。
小学校時代の暗い記憶を小説化する小説家「小説家のつくり方」、深夜のコンビニでおきた風変りな強盗事件「コンビニ日和!」、閉ざされた世界でのみ毒舌を交わし合う文芸部員たち「青春絶縁体」、雪の上に残された靴あとから始まる不思議な交流「ホワイト・ステップ」。さまざまな物語に共通しているのは、そのどこかに潮音が登場するということ(別にかかわりがあるわけではないので、ほんとうにちょっとした脇役としてだけで登場することも)。
乙一がWebで行った「オツイチ小説再生工場」から生まれた短編小説集。読者から送られてきたボツ原稿が、乙一によって再生し、さらに登場人物を重ねることで、なんだか連作短編みたいにもなっている。さすが。「ホワイト・ステップ」はいかにも乙一らしい作品で、アイデアがほかの人とは思えない感じ。ともあれ、どれも読みやすくてオススメ。
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