「ああ、これは埋めてるぞ」
「発掘捏造」 毎日新聞旧石器遺跡取材班 新潮社
2000年8月25日。一通のメールからそれは始まった。全国で相次ぐ旧石器時代の石器や遺構の発見。それらすべてがひとりの人物の手によってなされ、彼が「神の手」とまで呼ばれていること。しかし、まゆつばじゃないかという思いもないわけではなかった。取材班は全員考古学の素人。8月28日から始まる総進不動坂遺跡での10日間の発掘調査中、捏造の現場を撮影することは出来るのか。そもそも、神の手とまでいわれた藤村新一氏とは、いったいどういう経歴の、どういう人物なのか――そして彼らの取材が始まる。
藤村氏は、日本の歴史を塗りかえる発見を繰り返した人物である。マスコミも華々しく取り上げ、ほとんどが手放しで賞賛している。発掘現場に立ち会う学者たちも、彼だけが発見することに微かな疑問は抱きながらも、しかし、彼はすごいと賞賛する。発掘にかける熱意。現場に何度も足を運び、地層を読む目も優れている。その発見は藤村氏の努力と熱意の結果である、と。
総進不動坂遺跡では、不審な動きを目撃したものの写真撮影にまでは至らなかった。しかも張り込みの前に不審人物が現れなかった日にも、遺跡は発掘されたのである。「おいおい、本当に神の手か」。茫然と呟く取材班。しかし、彼らはあきらめず、藤村氏の発見をおかしいとする研究者の声も集め、藤村氏が発掘を行う場所を追いかけてゆく。
数年前の毎日新聞の大スクープ、旧石器発掘捏造のニュースが生まれるまでの息詰まる緊張の日々と、その後である。大々的に取り上げられたため、まだ鮮明にご記憶の人も多いと思う。
藤村氏の発掘捏造は歴史の教科書を塗り替え、考古学への不信も明らかにした。しかしそこには、検証されぬままの「発見」を大々的に取り上げてきたマスメディアの影響もあったのではないか、との反省がある。取材班は極力藤村氏のプライバシーに考慮し、個人攻撃にならないような配慮をしている。むしろ、彼らから伝わってくるのは藤村氏を救おうという優しさのようなものだ。捏造を暴かれた藤村氏は、取材班の一人に最後に「ありがとう」という。それまでの心の重荷をおろしたとき、ふと出てきた言葉だったのか。
真実を暴こうとする執念の中に、人間としての誠実さが感じられる。
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