「あたしに心はないの」
「心がないのか」ぼくは困惑した声でいった。
「嘘じゃない。誰も心なんか持ってないと思うよ。心があるって人、知らないもん。翔太とヤマ健がはじめて」
「ぼくが愛したゴウスト」打海文三 中央公論新社
悩みらしい悩みもなく、ぼんやりと生きていた11歳の「ぼく」、田之上翔太。甘えん坊で冒険知らずで、単純で楽観的。そんなふつうの男の子だったぼくは、ある日、親友の隆志といっしょに行くはずだったコンサートにひとりで出かけ、その帰り、中野駅で電車の人身事故に遭遇してしまった。とはいえ、ばかげた好奇心からばらばらの死体をのぞきこもうとしたぼくを引きとめてくれた若い男の人が親切に乗り換え経路を教えてくれて、ぼくは一時間ほどの遅れで家に帰ることができた。
だが、次の日から翔太は、家族や町の人たちから発散される腐ったような体臭、ぎこちない表情に違和感をおぼえる。しかも自分自身からはそんな匂いがしないのに、自分の部屋やシーツにはその匂いがしみついているのだ。わけのわからない状況にひそかに怯える翔太に、中野駅で出会った青年、ヤマ健が接触してきた。ヤマ健も異常を感じていたのだ。そして徐々に明らかになる真実。
ぼんやり生きることを許されているくらいにしあわせな男の子が、ある日、自分でも原因のわからぬままに、パラレルワールドかもしれないところに弾き飛ばされてしまう。そこに住む人々は、自分の家族や友人そっくりなのに、心を持たない人々だった。逃亡生活もつかのま、心を持つ翔太とヤマ健は、研究材料として研究施設に閉じ込められてしまう。心を持っていないとわかっていても、こちらの世界の家族に対して、親しみや愛情といった感情を抱かずにはいられない翔太。そしてある日、ヤマ健がたてた恐ろしい仮説によって、翔太は真実に違いないあることを思い出す……
人と人との関係や家族、心、感情、そういったものを男の子の視点から描いた小説。翔太がみずから認めるほどに単純な男の子だからこそ、救いがあり、切ない。
(「そこに薔薇があった」とはまるで違う作風にも驚きました(笑)。)
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