「けんかをしても何の役にもたたないよ。なんとか切り抜けるには、まずよく話し合おう」
         
 「十五少年漂流記」 ジュール・ヴェルヌ(荒川浩充訳) 東京創元社

 1860年。ニュージーランドの首都オークランドにあるチェアマン寄宿学校の生徒たちは、友人の父親が借り受けたスクーナーで楽しい夏休みを過ごすはずだった。けれど、舫綱がほどけ、船は外洋へと流れ出してしまう。嵐に遭いながらも必死に船を操ろうとした彼らだが、たどりついたのは見知らぬ島。大人は誰ひとりいない、船も壊れてしまった。果たして家に帰ることはできるのか? 小さい子どももいるのに、どうやって冬を迎えればいいのだ? 悩みつつ、それでも互いにわがままを抑えゆずりあい協力し、少年たちは島での生活を成り立たせてゆく。けれど、リーダーであるブリアンの弟ジャックだけは以前の快活さを失い、心に重いものを抱えているようにふさぎ込んでいる……。
 十五人の少年たちはそれぞれに魅力的である。おそらくそういう時代だったからなのだろうけれど、アメリカ人のゴードンがあっというまに島に適応し、最後まで「ぼくたちの島」を離れたがらない開拓者精神にあふれる人物として描かれていたり、フランス人のブリアンを認めることのできないドニファンの、いちばんの理由がイギリス人がフランス人に命令されてたまるか、だったりもするのだが、それすら物語りの味付けになっていて面白い。
 とはいえ……こういう面白がりかたをするのは反則かもしれないのだが、なにが面白いって、彼らは三年ほど島にいるのだが、その間朝晩の二時間を「広間」で勉強し、上級生が下級生に数学や地理、歴史を教え、さらには討論会を行って活発に議論のやりとりをする。日記をつけることも忘れてはならず、たまたま時計は壊れずにあるのでそのねじを巻くことも当番制だ。しかも日曜日には「伝統」にのっとって休息しなければならない……! もし自分が、と思うと、これはちょっと「いいこ」すぎるんじゃないかと思う。うまい具合に見習い水夫の黒人少年が一人いて、彼が食事の仕度や洗濯をしてくれるってのも時代が時代とはいえ……
 「蝿の王」と読み比べ、どっちの生活のほうがいいかといえば、それはもちろんこちらである。でも、じゃあ自分はどっちの生活に順応できるかといわれれば……
 ぜひ、読み比べてもらいたい。


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