でももし、かわりに透子が生き返ってくれるなら、あのグランドピアノを捨ててもいい。この指を一本残らず折ってもいい。耳もいらない。目もくれてやる。音楽と決別して、愛をあきらめて生きてもいい。透子が五体満足で、息をして、動き回ってくれさえすれば、二度と会えなくてもかまわない。
「サグラダ・ファミリア [聖家族] 」 中山可穂 新潮
響子の生き方は孤独だ。彼女のピアノは「広大な荒野でたったひとりで弾いているような音」。自分しか愛していない、否、自分さえ愛していなかった響子だが、ある晩、透子と出会ってすべてが一変する。その満開の桜の樹の下での出会いは、それだけでも幻想的だ。しかも響子が可愛がっていた猫の「死」をあいだに挟むことにより、なにかを暗示しているかのように恐ろしくも美しい。手軽に寝るだけの相手ではなく、こころの底がふるえるような相手に出会ったふたり。しかしそれは、子どもがほしい――その透子の願いによって、せつない別れをむかえる。
そして、それから二年。子どもを産んだ透子からの電話によってふたりは再会する。子どもとさえ透子の愛をわかちあうことを厭う響子。それでも、三人の奇妙な関係はそのままであれば、それなりに続いたはずだった。しかし、ある夜、あっけない事故で透子が死亡してしまう。
この物語は、真実の恋人を亡くした主人公がそこから這い上がるようにして立ち直っていく、そういう物語でもある。聖家族――という題のように、響子、透子の息子である桐人、桐人の父親の元恋人である青年、照ちゃん、三人がつくりあげる新しい家族のかたち。それは決しておままごとのように何もかもうまくいくなんてことはなく、けれどせつないほどに美しい。
それにしても後半、ひっかけた女の子とホテルに行こうとしている響子に、桐人の面倒を見ろ、と喧嘩を売る照ちゃん、それに激昂して喧嘩を買う響子、のやりとりは秀逸。ふたりの緊迫感も、ことばにされない想いも、おそらくはわからないなりに胸をいためている桐人も……すべてが目に浮かぶ。
喪くしたことが、イコールで失ったことはならない。最終ページ、流れ星を見ながらの響子の想いの大きさに、思わず涙してしまうのである。
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