どちらでもいいというのが、今の岸川の気持ちだ。そのときどきの判断で、白黒をはっきりさせたり、灰色のままにとどめてみたりしたい気がする。
「エンブリオ」帚木蓬生 集英社
群青の海にほど近い、贅沢な医療施設サンビーチ病院での人工妊娠中絶、そして仕組まれた女優の死から物語は始まる。だが、女優の死は不審に思われることもなく、謎解きが行なわれるわけではない。この物語はむしろ、サンビーチ病院の院長である岸川の倣岸な野心がどこまで成し遂げられてゆくのか――それを描き出すことにあるようだ。
日本の学会に所属しない岸川は、倫理規定に縛られることを嫌い、己の技術、着想を実現することだけを望む。ホームレスの男性への受精卵着床、パーキンソン病患者への胎児脳移植。実験に限界をもたない彼は、海外の学会で発表された事例よりも数年先を行き、しかしそれを公にすることはない。一部の上客さえいればいいからだ。そしてまた、彼は不妊症に悩むカップルに、無断で自分の精子を提供することもしていた。大海に注いだ水の一滴にすぎないではないか、と。
最初にも書いたように、ミステリではない。医療サスペンスでもないし……ただひたすら、岸川という男の生き方、考え方を書いているだけだ。誰も彼を正すことは出来ないし、むしろ彼の技術に惜しみない拍手を送る人物も多く、ビジネスという面からは彼の着想を盗み出そうと水面下で動き出す。邪魔な人間は排除し、ひたすら己の信念にだけ突き進む男。
――やな感じだ。いやな感じなんだけど、読んでしまう。どこまでが本当かわからない最先端の医療がおもしろいせいもあるが、似たような話があったな、と思い出してしまうせいもあるかもしれない。
患者は医者にすべてを委ねるしかないが、医者は必ずしも聖人ではない。悔しいけれど、それが真実だと思い知らされるような気もする。
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