このひとにはわかってない。だれにもわかってない。セフィーにさえ。
           
 「コーラムとセフィーの物語」 マロリー・ブラックマン(冨永塁訳) ポプラ社

 厳格な人種分離政策がとられている世界で、コーラムはノーツとして、セフィーはクロセスとして生まれた。コーラムの母がセフィーの家に勤めていたことから、彼らふたりは幼いころから兄妹のように育つ。けれど、成長するにつれて見えてくる社会の軋轢。
 クロセスの学校に行くことを許された、全国でもわずか20名ほどの中にいたコーラム。彼は自分がクロセスの学校に行けばどのようなことになるのか、よく知っていた。けれど、セフィーにとってはそれは大親友が同じ学校に来るという喜びでしかない。しかし、セフィーの行動はコーラムを傷つけ、自分自身をも傷つけるものでしかなかった。無邪気なこと、無知なことがひとを傷つけることもあるとセフィーは知る。肌の色が違うというだけで、どうしてこんなにも憎しみあわなければならないのか。そして引き裂かれたふたりが数年後に再会したとき、待ち受けていた皮肉な運命とは。
 イギリスで、特に読者から選ばれる賞を数多く受賞した作品。日本では「うそつき」の作者、というと、わかる人が多いかもしれない。
 物語はコーラムとセフィー、それぞれの視点から交互に書かれている。特に半ばまでは、セフィーの無邪気さが痛々しい。友だちに自慢したい大好きな親友がノーツであるというのはどういうことなのか。それを身をもって体験しながら、セフィーは大人になってゆく。そしてまた、コーラムは自分に向けられてくるまっすぐな思いを受けとめかね、ときには怒り、ときには悲しみさえも感じながら、セフィーを愛さずにはいられない。
「人間はしょせん人間だからな。だれが力を持とうと、いつだって社会をだいなしにする方法を見つけ出すもんなのさ」
 けれどふたりは、なにかを変えようとがんばった。それが最初から負け戦だとしても。多くのことを考えさせてくれる作品である。



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